『ジョン・ラーベ~南京のシンドラー~』
①11:30-13:50 講演 13:50-14:50 ②15:10-17:30
会 場 KAVC ホール (神戸アートビレッジセンター)
講 演 「ジョン・ラーベ、人と時代」
ブログ『青空帝国』 http://blog.livedoor.jp/goldhagen-ikidane/
主 催 『ジョン・ラーベ~南京のシンドラー~』神戸上映実行委員会
(非核の政府を求める兵庫の会、神戸映画サークル協議会、市民社会フォーラム)
公式サイト http://johnrabe.jp/
監督・脚本:フローリアン・ガレンベルガー
出演者:ウルリッヒ・トゥクル(『セラフィーヌの庭』)
ダニエル・ブリュール(『戦場のアリア』/『ラッシュ』)
スティーヴ・ブシェミ、アンヌ・コンシニ
香川照之、杉本哲太、柄本明、ARATA
ジョン・ラーベ―彼は悪名高きナチス党員だった。
1937年、日本軍による南京陥落を目前に、命がけの人道支援を決断する。
日中戦争が始まって間もない 1937年12月。日本軍は中華民国(蒋介石)の首都南京へ侵攻し陥落させた。
首都機能はすでに重慶へ移転しており、数十万の市民と中国兵士、そして十数人の欧米人が南京に残留した。
残った欧米人たちは、迫りくる日本軍から市民を保護する為、南京安全区国際委員会を設立、
その委員長に選ばれたのがシーメンス南京支社長のジョン・ラーベだった…。
本作品は、ラーベ と国際委員会メンバーの人道的活動を史実を基に描く。
会場あふれんばかりの大盛況の中、永田喜嗣氏が講演
「ジョン・ラーベ」上映会に370人超 関西初公開、予想以上の大成功
非核の政府を求める兵庫の会は11月24日、神戸市兵庫区のKAVCホール(神戸アートビレッジセンター)で、日中戦争時の南京大虐殺事件を描いた「ジョン・ラーベ~南京のシンドラー」の関西初公開「映画と講演の集い」を開催し、超満員の大盛況となりました。当会を中心に、日中友好協会兵庫県連合会や神戸映画サークル協議会をはじめ、民主的諸団体、個人も含む実行委員会方式で取り組んだ企画で、地元・神戸のFM放送「FMわいわい」が協賛しました。
ラーベの日記を基に
この映画は、事件当時の独シーメンス社南京支社長、ジョン・ラーベが残した日記に基づいて製作された2009年公開の独・仏・中の合作劇映画。134分に及ぶ大作で、欧米では数多くの映画賞に輝いた秀作も、日本では右翼の妨害を恐れてか、劇場上映は見送られ、2014年5月に東京で自主上映されたのが日本での初公開。そのため、今回の関西初公開には、遠く鳥取県をはじめ、県外からの来場者も多数つめかけ、2回に分けた上映は、合計370人以上の来場者で、あふれ返りました
永田喜嗣さん(ジョン・ラーベ研究者、大阪府立大学大学院生)の講演も、分かりやすく、大好評でした。
凄まじい無差別爆撃
この映画は、大別して①日本軍による南京市街への無差別空爆、②中国軍捕虜の大量虐殺、③南京城内での一般市民に対する虐殺、強姦、略奪――の3つに分けて描かれています。冒頭の空爆シーンの凄まじさは、ラーベが残した日記のタイトルが「南京の爆弾」となっていたことからも窺えます。
この作品が、映画紹介のキャッチコピーにもあるように、「日中戦争が始まって間もない1937年12月。日本軍は中華民国(蒋介石)の首都南京へ侵攻し、陥落させた。首都機能はすでに重慶へ移転しており、数十万の市民と中国兵士、そして十数人の欧米人が南京に残留した。残った欧米人たちは、迫りくる日本軍から市民を保護するため、南京安全区国際委員会を設立、その委員長に選ばれたのがシーメンス南京支社長のジョン・ラーベだった」「本作品は、ラーベと国際委員会のメンバーの人道的活動を、史実を基に描く」というのは、その通りであり、事実の重みを実感させました。
南京のドン・キホーテ
しかし、「ジョン・ラーベ――彼は悪名高きナチス党員だった」というのは〝後づけ〟と、永田さんは指摘。実際のラーベは、1934年ナチス入党は事実としても、「その頃はまだ、ヒットラーの悪行もさほど表面化しておらず、その本質をよく知らずに尊敬していた」としています。そして、ラーベは、①心に国境を持たないコスモポリタン、②空気が読めず、真っ直ぐに正義感を貫き、英雄にあこがれる性格、③相手の立場が分かる、配慮のきく、優しい人柄――などが特徴的で、「事業欲のために差別的な搾取をし、後に人道支援に転じたシンドラーと違って、ラーベは〝南京の生き仏〟とも呼ばれるが、実は〝南京のドン・キホーテ〟と呼ぶのがふさわしい」と、永田さんは評価しています。 ゲシュタポに逮捕されて 映画は、南京事件からほどなく、ラーベが船でドイツへ帰国するシーンで終っていますが、実際には翌年まで残って中国人支援のボランティア活動を継続したのです。
また、現地・南京からヒットラー総統に、同盟国である日本軍の蛮行を手紙で訴えたり、帰国後も映画、講演会などを開催して、告発を続けたりして、ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に逮捕。会社でも左遷の憂き目にあっています。 「非ナチ化」を拒否されて また、南京での人道的活動にもかかわらず、戦後も連合軍から「非ナチ化」を拒否され、ナチスの罪業を背負わされた形で生活は困窮。中国からの支援物資で食いつないだ、というエピソードも残されています。
シーメンス社は1948年に退職。2年後の1950年、不遇のうちに心臓発作のため67歳で死去。2巻が残されたラーベの日記は1994年まで、長く誰からも紐解かれず、著名な作家などの運動が実って出版されたのは1997年になってから。どう見ても、スマートな生き方とは無縁の「愛すべき人物」だったようです。
そうしたキャラクターとも相まって、あの恐怖と暗黒の時代に、「南京の奇跡」が起こったわけで、この映画は、関西では神戸の後、大阪府茨木市や京都市などでも続々と自主上映され、共感の輪が広がっています。
学ぼう、歴史的事実を
こうした南京事件を学ぶ映画と講演の集いについて、日中友好新聞は1月5日号の東神戸版で「南京事件の史実を知る上でも、示唆に富んだ企画でした。安倍政権が集団的自衛権容認を閣議決定し、『秘密保護法』が施行された今こそ、歴史的事実を学ぶことが求められています。このような映画が広く劇場上映され、多くの人が鑑賞できる状況を作って行きたいものです」と報じています。