冨田宏治教授(関西学院大学法学部)による、「保革を超え、転形期を切り拓く共同を‐大量棄権層・社会保守・市民連合‐」というタイトルで開かれた講演会。冨田教授が出版した同名のブックレットの出版記念を兼ねて実施されたものです。この講演では、政治や市民運動を取り巻く現在の状況を冷静に分析しました。特に、リベラル層を中心とする多くの人々が、「メディアや民主主義は危機的状況に陥っている」と感じているとされるいまの状況について、小泉構造改革に代表される「日本型ポピュリズム」が終焉を迎えたことを解説したうえで、むしろ「危機は去った」との認識を示しました。また、政治に無関心なのではなく、政治に期待しつつも投票行動を回避する「大量棄権層」が約2000万人も存在することなどを詳細に解説。加えて、保守層にもさまざまな思想や形態があることを紹介し、来たる参院選に向けて、彼らにどう食い込んでいけるかが民主主義を守る分かれ道になることを説きました。
なお、市民社会フォーラムでは当講演の「全文テキスト起こし」を作成しました。ぜひご精読いただけましたら幸いです。
◎全文テキスト起こし(一部省略あるいは加筆した箇所がありますが、基本的に元の意味は踏襲しております)
目次
- ◆キータームは「風」
- ◆日本型「企業国家」とは何だったのか?
- ◆日本型「企業国家」の機能不全
- ◆小泉構造改革とは何だったのか?
- ◆日本型ポピュリズムとは?
- ◆小泉構造改革の帰結
- ◆小沢的ポピュリズムの台頭
- ◆ポピュリズム的手法の限界
- ◆ポピュリズム絶頂期が民主主義における一番の危機
- ◆大量棄権層の登場
- ◆大量棄権層は郵政選挙以来の自民に愛想を尽かしている
- ◆民主にも維新にも、そして自民にも票は戻らない
- ◆大量棄権層が投票に足を向けた事例
- ◆無関心層ではなく大量棄権層を投票所に向かわせる必要がある
- ◆大阪ダブル選挙で維新は徹底した組織戦を実施
- ◆大阪の自民党は組織崩壊で勝てなかった
- ◆「身内」をいくら固めてもダメ
- ◆堺市長選から始まった保守と革新の共同
- ◆維新のガチの支持層とは
- ◆「新自由主義とどう闘うか」がしきりに語られるように
- ◆日本の保守が割れている
- ◆地方の自民党議員が安保法制に大反対した
- ◆「路上」から始まった新しい動き
- ◆野党が共闘しても大量棄権層を動かさないと勝てない
- ◆「敷布団」は覚悟を決めるべき
- ◆「署名」は大量棄権層や保守層に持っていくべき
- ◆北海道5区補選も「風が吹かなかった」
- ◆地道に一軒一軒訪問し、ひとりひとりと対話するしかない
◆キータームは「風」
北海道5区、皆さんもどういうふうにみたらいいのかということで、お考えになっていると思いますが、北海道5区の結果、あれは善戦したからよかったのか、勝ったのか負けたのか、その辺を見てみたいと思っています。結論から言うと、私がこの間に言ってきた分析は当たっていると思います。まさにその通りの結果が出たと思います。いろんな意味で野党は共闘ということで、いま安倍政権を打ち倒していくための、あるいはもっと言えば、歴史的な大きな転換を実現していくための条件は整ったと思うんですが、やはり主体的にそれをどう切り拓いていくかということで力不足だということは否めないと思うんですね。
そこでキータームとなるのが「風」です。僕は今日の話で強調したいのは「風が止まった」という話なんですね。風が止まった。いわゆる小泉旋風とか民主党の政権交代とか、橋下に風が吹いたとか、メディアを通じてポピュリズム的な手法で吹かせる風がぴったり止まったんですね。止まったということがいったいどういう意味を持つのか。その結果生まれたのが大量棄権層ということになりますが、風が止まったということの非常に重要な展望。風が止まったことによって切り拓かれつつある展望と、止まった風によって動かなくなった大量棄権層をどうしたらもう一回投票所に向かわせることができるのかということ。これがいまだに未解決の問題として残っている。
唯一成功した経験が、大阪の住民投票(いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票。2015年5月17日投開票)だったんですが、大阪ダブル選挙(大阪市長と大阪府知事を選出。いずれも「維新VS反維新」のガチンコ対決の構図に。2015年11月22日投開票)でも(反維新側は)失敗した。そして今回の北海道5区も、あれはやっぱり、市民団体の名前が悪いですね。「市民の風」。風を吹かせようとしたんですよ。でも風は吹かないんです。本当に吹かなかったんです。北海道5区も。ぴったりと風は吹かなかった。そうすると勝てないんです。風頼みでは勝てないんです。風を起こそうと思ったって、もう起きないんです。起きないことが今回の北海道5区でも分かりました。そうするともう、風頼み、市民の風とか言って、風頼みの運動をやっていては、もう参議院選挙も一緒ですね。みんな勝てない。「風に期待するのは、やめよう」というのが結論になります。
そういう目で北海道5区の推移も見ていきたいと思います。ある意味、この間、安倍内閣との闘い、それから橋下政治との闘いを通じて、実際に体験しながら気づいてきたこと、それを何となく理論的なフレームの中に落とし込んで語って回っているということなんですが、それがどのぐらい当たっているかということは皆さんのご判断におまかせをしたいと思いますが、一応そういうお話しをさせていただきたいと思いますので聞いていただきたいと思っています。
さて、いま日本の政治では、見たことのないことが起こっているわけで、やったことないことをやっている。これは特に大阪で橋下と対峙してきた者としては、あるいはその後国会前でSEALDsの集会などに足を運んだ者としては、これは痛切に感じます。いま見たこともないことが起きている。やったことないことがやられようとしている。あるいはそれをやってきた。
それを具体的に個人的経験で言うと、僕は去年の4月に、生まれて初めて自民党の候補者に投票しました。これはもう人生始まって以来の経験ですね。府議会議員選挙です。僕は都島区在住ですので、都島区は維新と自民の一騎打ちだったんですね。別に協定も何もないですよ。自民がどっちに行くかも分からないですけども、少なくともその段階で維新と対峙する、そういう姿勢を自民は示していたので、自民党に投票するしかないと。これが、SEALDsの呼びかけた戦略的投票ですね。戦略的投票をやるしかないと思って、投票所に行きました。自民に入れるんだと思ってブースに行ったんですよ。でもさすがにブースに入ったら、手が震えますよね。生まれて初めてですからね。「自民党だぞ」って、やっぱり思うわけですよ。「いまから入れようとしてるのは自民党だぞ。いいのか?」ってやっぱり思って。それで手を震わせながら書いて投票しました。書いたやつを引っ込めようかとも思いましたけど。
でも、そのあとわずか1ヶ月後には、すごい住民投票の、自民から共産まで同じところに辻立ちをして。僕は自民党のビラをまいてましたからね。いいんですよ、中身は変わらないわけだから。要するに自分たちが手持ちでもっていたビラが尽きれば、隣で自民党がまいてるわけですから、ごめんちょっとビラくださいと言って、何者?とか思われながら、自民党のビラをまいていたわけです。そんなことも、まさに経験したことのないことが起こっているわけですよ。
それは別に大阪だけではなくて、沖縄はもっとすごかったわけでしょ。翁長さんの当選という話もそうですけど、一番すごかったのは、2014年末の衆議院選挙で、総選挙で、1区・赤嶺、2区・照屋、3区・玉城、4区・仲里というふうに、候補者調整をやったと。仲里さんというのは、元自民党県連幹事長ですね。その次の幹事長が翁長さんだったという、そういう人なんだけど、僕は大阪で仲里さんと飲んだことがあるので、すごい人だし、筋が通ってるし、骨のある人だし、こういう保守っているんだと。僕らが見てきた自民党の保守とは、同じ保守でも違うんだなとか思いながら、でもこんな保守が味方についたらすごく心強いなと思いながら、一緒にお酒飲んだり、生まれて初めて「沖縄を返せ」を歌ったり。
もっと面白いのは、800人ぐらいの会場に仲里さんを呼んで、その会場はみんなお金を払って参加したわけですね。参加費を取って。その上で沖縄にカンパをしようと言って、カンパを呼びかけたら、70万円ぐらい集まったんですね。それを報告して必ずお送りしますからと言ったら、仲里さんが、俺はいままで何回も何回も選挙をやってきたけど、有権者からお金をもらったのは初めてだと。いままで、まいてまいてまき続けてきたと。そうなんですよ。沖縄の選挙って何でもありと言われるんですけど、もうバンバンお金をまいて選挙をやってきた。その自分が、選挙の前に、まさか有権者から、支持者からお金をもらうことになるとは思わなかったとカルチャーショックを受けて感動してるんですよね。
これを見ながら、すごいことが起こってると思った。候補者調整で赤嶺政賢に、那覇の自民党員だった人たちが、これ具体的に聞いてるのは、翁長さんの息子さんが膝がガクガク震えたと。まさか共産党の赤嶺政賢と書くことになるとは思ってもみなかったと。でもそんなことは沖縄では当然起きていた。沖縄における自民党と共産党の闘いは、それは我々が知っている大阪のようなことじゃすまない。京都と沖縄はそれこそ血みどろの闘いをやってきたわけですよね。自民党支持者たちも赤嶺と書き、共産党を支持者たちも仲里と書いた。それは膝を震わせながら書いた。すごいことだ。
宮城県でもすごいことが起きている。宮城県議会選挙で共産党が4議席から8議席に伸ばすということがあったが、共産党の人は共産党は強くなったと喜んでいるが、違うんですよね。共産党が強くなったというよりも、自民党の支持層が入れてくれているんです。勝手に共産党を支持する自民党員の会みたいな勝手連が出来た。元町村会長さんとか議会の議長さんとか、農協の幹部連とか、そういう人たちが勝手連をつくって共産党を押し上げた。
こういうことが何で起こるんだろうかという話。国会前ではSEALDsが呼びかけて延べ30万人ぐらい集まった。大阪でもSADLが呼びかけて2万人のデモを実施。SADLは17人しかいない。たかだか17人の青年グループが2万人の集会・デモをやる。これは見たこともないような話ですが、そういうことがこの1年であらゆるところで起こっている。
転形期とは丸山眞男が好んで使った言葉。もともとのルーツは小林多喜二が使ったりしてるので、特に丸山眞男の言葉というわけではない。転形期とは形が変わるということ。そういう時期がいま起きていると思っている。
20世紀後半型の「企業国家」がいよいよ終わりを迎えようとしている。別の形の国家がつくられざるを得ないという、そういうかなり大きな変革期がいま来ているのだろうと。どのぐらいの変革の大きさかというと、明治維新や戦後民主改革に次ぐ巨大な変革だろうと思う。日本型企業国家が機能不全に陥ってもう25年も経っているので、引導を渡しきれないで、言ってみれば生命維持装置につないで、ひとつの国家を生き永らえさせてきたが、いよいよその国家の終わりが見えてきた。そのぐらい大きな変革がいま起ころうとしている。
◆日本型「企業国家」とは何だったのか?
1970年代に成立し80年代に日本を経済大国に押し上げていった。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、浮かれ踊った国家。日経平均株価も4万円近くまで上がった。当時の若者は豊かさを謳歌し、ワンレンだ、ボディコンだと、ディスコで踊り狂っていた。対するに、いまの若者は、いかに酷いことになっているか。いかに生きづらい、どうしようもない状況に追い詰められているか。これ自体が、この国家が行き詰まっていることの決定的な表れである。非正規が5割を超え、ブラック企業・ブラックバイトにさいなまれ、高い学費を取っている関学の教員としては申し上げにくいところだが、学校に行けば猛烈な学費。学費のために奨学金を借りる。マイナス金利の日本で3%とかいう高金利を取る。もう完全な高利貸しですよ。4年経って卒業したときに、700万円とかを背負って、その挙げ句に就職できなかったらどうなるか。就職もできずに700万円の借金を背負って、世間に放り出される。日本型企業国家がピークを迎えたときには、楽しく踊り狂っていた僕らの世代の子供が、そういう状態に追い詰められている。まさに日本国家の在り方がとことん行き詰まったということだろうと思う。
◆日本型「企業国家」の機能不全
日本のGDPはこの20年、25年間、ほとんど成長していない。1990年には449兆円、2011年は468兆円。20年あまりでこれだけしか増えていない。日本を世界の経済大国に押し上げた、要するにGDPをすごい勢いで成長させた日本国家が、この20年で全く成長させられなくなった。日本型「企業国家」が完全に機能停止している証拠である。
アメリカは不景気と言われながらも、この20年間でGDPは約3倍になっている。中国は約30倍になっている。日本はひとり当たりのGDPでカウントすると、世界27位。先進国と呼ばれるOECDでは最下位。OECDに入っていない国からも抜かれている。経済大国としての面影がない。
全く成長しないというのは異常。この状態の国家を生きながらえさせていても、良いことがない。とにかく引導を渡さないといけない。しかも生きながらえさせるために何をやってきたかというと、赤字国債を発行して借金で輸液を流し込んでいくみたいな話なんですね。だから日本の借金はどんどん拡大して1000兆円を超えている。
この20年間、500兆円のところでぴたっと張り付いて動かなくなったGDPを、5年で600兆円に上げると安倍首相が言っていることが、いかに滅茶苦茶なことかは、この事実からも明らかである。どうやって達成するのかというと、最後はGDPの計算方法を変えるらしい。これまでカウントされていなかった研究開発費などの費目を全部ぶち込むという、そういう話らしい。500兆円に張り付いていたものを600兆円にすると言った時点で、いかに何も知らない人かということが露呈。いままさにわれわれはそういう人と対峙しているのである。
◆小泉構造改革とは何だったのか?
国家の在り方のみならず政治の在り方がとても危険なものになっていった。今日の話は、その危機がまずはひとまず去ったという話をしたい。いまが一番危機が深いと思っている人が多いと思うが、そうではない。古館氏、岸井氏、国谷氏など、メディアが安倍の下に膝を屈したとか、もう日本の民主主義は行き着くところまで行って、ものすごい深刻な危機だというのが、一般的な理解だと思う。この危機を乗り切らなきゃ大変だと叫んでいる構図が拡がっていると思うが、僕はそういうふうには見ていない。危機はひとまず去ったというのが僕の観測です。それはなぜかというと、小泉首相が始めた目茶苦茶な政治が終わったということですね。それは何かというと日本型ポピュリズムと呼んでいたものです。その中身は基本的に新自由主義的な改革をやりながら、急激な改革をやると格差が拡大しますから、その格差拡大を埋めるために、必ずニコイチでナショナリズムを動員するという、これはもう、ひとつのパターンですね。これは日本だけでなくいろんな国々で起こっている。こういう新自由主義的=市場万能主義的な構造改革路線。官から民へ、民営化というそういう路線と、そのことによってもたらされる格差拡大。
そしてもうひとつが、安心安全の崩壊です。今年の1月にあったバス事故などは、このような規制緩和路線の行き着く先が何をもたらすのかということを非常によく表している。要するに65歳以上の、大型バスの運転経験があまりないような人をものすごい低賃金で雇って、夜のスキーバスを運転させたわけです。これまでバス業界に掛かっていた規制を、小泉さんたち新自由主義改革論者が規制緩和をやった挙げ句、こうなってしまった。その結果ああいう事故をもたらした。安心安全が崩壊するということですね。
保育園の話もそうですね。「保育園落ちた、日本死ね」「保育園落ちたの、私だ」と叫んでいるさなかに、大阪では無認可の保育園で子供がうつ伏せに寝て亡くなっている。確かその次の日にも、企業が共同でつくった共同保育所でも、同じようにうつ伏せ寝で亡くなっている。そんな中で、大阪は待機児童を減らすために特区に名乗りを上げて、保育士の資格を持っていない人をどんどん保育園で働かせようということを言っている。これをやったらどういう結論が訪れるかは火を見るよりも明らかである。
規制緩和というのは、一方で格差を拡大して貧困を拡大して、社会を不安定のものにしていく側面と、安心安全を崩壊させていってしまうという2つの側面を持っている。社会全体が不安定化する。それをつなぎとめて秩序をどうやってつくるかは、もうナショナリズムに頼るしかない。だから必ずニコイチである。ニコイチだけならまだしも小泉氏がやったのは、日本型ポピュリズムというすごくヤバイ方法だったわけです。
◆日本型ポピュリズムとは?
その手法というのは、自分たちが政権与党だったのに、自分たちがつくった不満や不安を、自分たちで煽るわけですね。こんなひどいことになっているだろうとか、こんなに不安が拡がっているだろうということを自分たちで煽り立てたうえで、物事を単純化して分かりやすい話にして、分かったつもりにさせて、短いキャッチフレーズを連呼しながら「政敵」をつくって、その政敵を叩き潰すことで喝采を浴びるわけです。そしてたくさんの指示をかすめとるというやり方なわけです。
小泉氏が何をやったかというと郵政改革ですね。「郵政改革で日本がよくなる」と言ったんです。「郵政改革をしないと、日本はダメになってしまう」「郵政改革をすれば、日本が抱えている問題がすべて解決する」と小泉はほざいた。何がよくなりましたか?
郵政改革から10年。たとえば財政投融資に無尽蔵に郵便貯金が使われていくというようなことがなくなったから、いいかなと思う部分も少しあったけど、結局郵便局が国債をどんどん買うようになったので、あまり変わってないんですよね。郵便局のサービスがよくなったわけでもない。むしろ山奥に行ったら郵便局がどんどん潰れ始めている。何もいいことなんてなかったと思う。だけど小泉氏は、物事を単純化して、郵政改革さえすれば日本はよくなると言って、郵政改革に抵抗する人を「抵抗勢力だ」と言って叩き潰して、訳の分からない選挙を仕掛けた。いまも意味不明ですよね。なんであそこで選挙をやったのか。そして2700万票をかすめ取った。あれがまさに日本型ポピュリズムの姿です。ヒトラーも同じ手法を使った。ファシズム・ナチズムと政策内容は違うけれども、ポピュリズムとしての手法は一緒です。
どうしてそうなったのかというと、10年ぐらい続いていた不況で人々がバラバラに切り離されて、孤独で不安な状態。丸山眞男の言葉を借りれば、「原子化」「アトム化」と言うんですが、そういうふうに原子化してしまった大衆が大量に存在していた。そういう大衆をポピュリズム的操作によって煽って、大量得票を得てきた。
◆小泉構造改革の帰結
結局構造改革が何をもたらすかというと、勝ち組・負け組を生み、格差を拡大し、自己責任という奇妙なイデオロギーが振りまかれ、弱い者は、失敗した者、負けた者は自分の責任だろうという自己責任論が振りまかれた。一方で、共同とか連帯、助け合いという価値そのものが否定される社会ができていった。この、共同・連帯・助け合いという価値感を日本人が取り戻すのに10年以上掛かった。不幸な出来事だったけれども、東日本大震災と原発事故があったのを機に、日本人はようやく連帯とか共同というものをあらためて再確認して、自分たちを否定的な価値から肯定的な価値へ切り替えることができた。小泉がやったのは、こういうのは負け犬の傷の舐め合いだということで、とことんかっこ悪い、ダサイ、そういう価値感を日本中につくりあげていってしまった。その結果、湯浅誠氏が言うところの「すべり台社会」が到来してしまうことになる。
◆小沢的ポピュリズムの台頭
そのあと、ある意味すごい天才が現れます。小沢一郎氏です。小泉構造改革がもたらした格差の拡大とか貧困の拡大をテコに、彼もまた凄まじいポピュリズムを仕掛けた。これはカウンターポピュリズムです。小泉的ポピュリズムに対し、小沢的ポピュリズムで斬り返しました。それが、「国民の生活が第一」というスローガンです。これが出たとき、「小沢は冴えてるな」と思いました。それともう1人、この人の盟友の鳩山由紀夫氏が「友愛」と言ったときに、「やられた」と思いました。まさにポピュリズムを仕掛けて、カウンターをやりました。
彼らに共通しているのは、メディアを使う。そしてメディアを自分たちで使うんではなくて、広告代理店を使って、トータルプロデュースさせるんです。小泉氏は多分電通を使ったと思うんですね。小沢氏は博報堂を使ったというふうに言われますけど、同じことをやったのは橋下氏ですね。だから住民投票の時に5億とか10億とかいうお金が話題になったでしょう。あれは何かというと、多分電通だと思うんだけど、そこに依頼してトータルプロデュースをさせるわけです。だからもう全部おまかせになるわけです。テレビコマーシャルから新聞折込からポスターから、ロゴからキャッチフレーズから。橋下氏が「たとえ僕が嫌いでも都構想だけは嫌わないでください」と言ったときは、これはプロの仕事ですよね。皆さんご存知ないかもしれませんが、あれはAKB48の前田敦子が引退するときに言った言葉なんです。それはまさにプロの宣伝マンじゃなければ出てこない、そんなセリフは。そういうのをトータルにやると、大阪市内であの住民投票1か月ぐらいで5億円なんです。その金が払えなかったので、その金のガメリ合いから維新の党は分裂するわけですね。金庫をガメったのはいいんだけど、その金は松野さんによって口座が凍結されて引き出せなかったんですね。同じところに頼もうとしたら、請求書を突きつけられて、これを払ってくれたらやりますと言われてあきらめたというのがダブル選挙のときでした。
◆ポピュリズム的手法の限界
だからダブル選挙は本当に(維新は)冴えてなかったですよ。全然宣伝とかそういう空中戦は冴えてなかったです。なのに、なぜ負けたかというのは、今日これから出てくる話です。住民投票でやったようなポピュリズム的な手法は、ダブル選挙のときは一切発動しなかったんです。だけど僕ら(反維新側)は負けたんです。それはどういうことかというと、風が吹かなかったということなんですが、でもこの段階(小泉政治や民主党へ政権交代する頃)は、まさにメディアを使って広告代理店にトータルプランニングをさせて、それによってビュンビュン風を吹かせて大量得票を得るという政治が行われたんですね。このとき3000万票集めました。小泉は2700万票、あれは2005年ですね。その4年後に、民主党は3000万票を集めました。そういう政治が行われていたわけです。
だけれども、小沢さん、そのあと、よく分からない話で検察にあげられてしまってということになるんですが、結局鳩山さんが辺野古のことで、「抑止力というのを学べば学ぶほど、その大事さがよく分かりました」と言って、辺野古の県外国外というのを取り下げたあたりから、全部マニフェストで掲げた公約を裏切ってしまったと。全然何ひとつ残らなかったという結末に終わりました。
結局は、ポピュリストだったわけですね。ポピュリズムというのは、風で支持をかっさらうわけですから、風頼みであったがゆえに、本当に日本型企業国家の引導を渡さないといけないわけだから、そこをとことん改革していくというそれだけの覚悟が彼らにあったのかという話なわけですよ、結局は。あのマニフェストそのものは非常によかったと思います。いまでも多分僕らがこの先を展望して、マニフェストをつくったとしても、あの小沢マニフェストをそんなに超えることはできないと思うんですね。ただ問題はそれを掲げたことはいいけれども、掲げたことをやったかということです。結局やらなかった。やらなかったというよりも、やれなかった。なぜかと言ったら、権力と対峙する覚悟がなかったからです。それをやるには霞が関もアメリカも、それから大企業も敵に回してとことん闘うというだけの覚悟なかったら本来できないんですね。ポピュリズムではできないんですよ。風でいくら票を集めたって、そんなことじゃできないわけですね。
何が必要だったかというと、そういう権力との対峙を支えるような強固な支持基盤みたいなものがなければ、できないわけですね。たけど民主党は、小沢さんは結局首相になれなかったけれども、鳩山首相、菅首相、野田首相と続いた民主党政権は、次の選挙で900万票まで減らしてしまうわけです。2000万票がさっと引いてしまうぐらい、全く支持基盤を持ってなかったんです。こんな支持基盤のない風頼みで、風邪の力で政権を獲ったって、何もできないということが民主党政権の示した教訓なんです。
この教訓を、ここから学ばないと、野党共闘とかなんとか言ったって、風で勝っても何もいいことはありません。僕はよく共産党の関係者の前でお話しすることが多いので、自民に風が吹いた、民主に風が吹いた、次は共産党に風が吹くと思っているでしょう、と言って、そんなこと思っていたらダメですよと。共産党に風なんか吹かないし、吹いてそれで政権を獲ったって、絶対にろくなことなんてないですよと。民主党と一緒ですよと。結局実現できなければ、みんなに失望感と絶望感を与えて、共産党が風に吹かれて政権について何もやらずに失望され絶望されたら、もう二度と立ち上がれませんね。勘違いしてはいかん。風はもう絶対吹かないんだ。風に頼ってはいけないんだということですね。自分たちに対する風だって、それに頼るべきではないということ。それを教えてくれたのが、民主党だったと思うんですね。
◆ポピュリズム絶頂期が民主主義における一番の危機
民主党の失敗のあとを受けて、もう一回小泉的ポピュリズムのバージョンアップを図ってやったのが、橋下さんだったわけですね。政策内容は一緒です。政策内容は基本的に構造改革、新自由主義的構造改革、プラス、ナショナリズム。ということですね。それをポピュリズム的な手法でやったという意味では、もうほとんど小泉さんの焼き直しでしかない。あんまりオリジナリティのある人ではないんですよね、この人(橋下氏)はね。ただちょっとオリジナルだったとすれば、それはスケープゴートとして、高級官僚ではなくて、公務員労組をスケープゴートにしたと、敵に設定したと、ここが小泉よりずる賢いし、品位がないという、そういう話になるんでしょうけどね。そういう意味では小泉の二番煎じでした。
この3人(小泉・小沢・橋下)が入れ替わり立ち替わり出てきたこのときに、日本の民主主義は一番深い危機にあったんです。このときは本当にヤバかったと思いますよ。橋下の勢いがあるときは本当ヤバイと思った。だから僕は大阪で反維新の闘いに参加をすることにしたんですね。それまでは基本的には兵庫ですからね。大阪に引っ越したというのもあったんだけれども、関西学院大学は兵庫ですから。だいたい神戸の人は大阪を見ながら、「大阪って変なところやね」と言いながら他人事で、京都の人もそう思ってるんだよね。他人事なんだよね。僕もそう思ってました。「大阪もケッタイな(変な)ところやねと。あんなのが何で市長になれるんだろうね」と思ったけど、よくよく考えてみると小泉・小沢と続いたポピュリズムの総仕上げに橋下氏が総理にでもなったら、これはどうしようもないことになると思うんです。だから、絶対に大阪で止めなければいけないと思って、大阪の運動に加わっていったんですけどね。
◆大量棄権層の登場
でも、その夢を果たすまでもなく、日本のポピュリズムは終焉を迎えます。それは結局、安倍政権の登場のところで、ピタリと風が止まったということですね。ここでポピュリズムは終わったということですね。で、「安倍は大勝した。安倍は日本を取り戻した」と皆さん思っていると思いますが、議席数は大勝しましたが、得票は大勝どころじゃなくてものすごく減らしてるんです。この1881万票というのが、民主党に負けたときの得票数です。だから、議席を民主党が3分の2を獲って、自民党は結党以来の大敗北を喫した。そのときに自民党は1881万票獲っていたんです。だけど、安倍が政権に返り咲いたときの得票数は、1662万票なんです。200万票も少ない。これが勝ったと言えるでしょうかという話ですね。もちろん議席は勝ったんですよ。3分の2を超えた。すごい議席を獲りましたね。たけど有権者の中で、自民党が得られている支持というのは、安倍内閣の登場のときに言ってみれば激減して、それ以降1回もこの1881万票を取り戻せていないんです。そこがポイントです。
つまり何が起こっているかというと、小泉で2700万票入った。小沢で3000万票入った。橋下に1200万票入った、というふうにビュンビュン風に吹かれて動いていた人が、投票に行かなくなった。つまり大量棄権層の登場です。この人たちが投票に行かない。そのことによって、もう風によってビュンビュン振り回されるようなポピュリズム的政治は機能しなくなった。それはとてもいいことなんです。
ポピュリズム的政治は非常にやばいわけですね。小泉が出てきて、小沢が出てきて、橋下が出てきて、次は小泉進次郎が出てくるんですか。そういうふうにして、また風にビュンビュン振り回されて、選挙があるたびに大量得票がなされて、政治がどんどん劣化していく。その中で最終的にはファシズムが出てきても不思議ではない、そういう状態になってたんだけれども、この安倍氏の登場によって、それがピタッと止まってくれた。それ以降は風が吹かない。本当に吹かない。だから負けたんだけど、北海道5区も全く風が吹いていないんです。この風が吹かない、風が吹かないということは、大量棄権層が棄権にとどまっている、この状況が言ってみれば危機を脱することにつながったんだけれども、でもこの大量棄権層にもう一度投票所に足を運んでもらわない限り、我々は勝てないという状況を生み出してきた。ここのところをよく見際っていかないと、展望が見えてこないということになります。
◆大量棄権層は郵政選挙以来の自民に愛想を尽かしている
参議院選挙も結局1846万票止まりでした。民主党に至っては3000万票獲っていた民主党が700万票に減っちゃったわけですよね。どうしようもない減り方ですよね。もう民主党はそうは言っても、次の総選挙で900万票に取り戻しましたけど、かつての3000万票を獲ったあの勢いはどこにもありません。維新の会も、12年の衆議院選挙ではちょっと橋下の風が吹いた(1200万票)けど、もう参議院選挙ではそれを半減させてしまったんですね。基本的にこの参議院選挙も風は吹かなかった。つまりどういうことかというと、自民に票は戻らない。つまり郵政選挙以来、自民にもう票が戻っていないんです。よく「日本国民は3日も経ったら忘れる」とか「餅食ったら忘れる」とかタカをくくってますけど、そんなことないんですよ。ものすごく執念深いです。小泉に裏切られたというあの思いは、いまだに有権者の中から全く抜けていないんですよ。だからもう自民党には戻らないんです。1881万票という2009年の大敗したときが最大であって、ここまでも多分戻ることはないと思うんです。今度の北海道5区でも、町村が初めて負けたあの選挙のときでも15万票獲ってるんですよ。それに届いていないんですよ。13万票しか獲れていない。つまり自民党に票は戻らない。日本人はものすごく執念深いということです。だから自民党にはほとほと愛想を尽かしている。
◆民主にも維新にも、そして自民にも票は戻らない
それと同じことが今度は民主にも言えます。民主にも票は戻らない。野党共闘をやってみせたところで、民主に票は戻らないですね。それは裏切られてるからね。ものすごい裏切られてる。あの裏切りは強烈ですよ。だってあれだけ立派なマニフェストを掲げて、仕訳だ仕訳だと騒いで、だけど何も実現しなかったわけですよ。八ッ場ダムなんて、あれがシンボルだとか言っておいて、工事再開されてしまってるわけだし。何にも実現していない。小さな話さえ実現しないんだもの。八ッ場ダムのような。だから、それはものすごい裏切られ感がありますから、彼らは戻らないです。2000万人ぐらい行き場を失ってるわけです。
維新も一緒ですね。ちょっと浮気した人がいるけど、多分一番大きかったのは、あの慰安婦発言ですね。あれで橋下の正体が、特に女性の間に拡がってしまった、バレてしまった。だからもう、あれから実は、大阪のちちんぷいぷい(報道バラエティ番組)とか、キャスト(ニュース番組)だとか、テン(同)だとか、ああいう番組は橋下を映さなくなるんですね。どうしてかというと、いままで橋下を映すとチャンネルを変えてくれて視聴率が上がったのに、あの発言以降、橋下を映すと、主婦層ですからね、みんなあんな慰安婦発言に一番カッカ来た人たちだから、みんな観たくないからチャンネルを変えちゃうわけです。だから橋下を出すと視聴率が落ちるんです。だから、ああいう午後の情報番組というのは、橋下を登場させなくなった。それはそのまま橋下の人気を下げていくことになるわけだけど、やっぱりテキメンだったんですよね。そうするとそういった人たちは、忘れないわけですよ。橋下の正体を。民主の体たらくも。自民党のもたらしたものも。小泉に欺かれたことも忘れない。執念深い。この執念深い人たちが、いま大量棄権に回っている、ということになります。これはそのあとの14年の総選挙でも一緒なんですね。1766万票ですから戻っていない。
自民党にとってもっとショックなのは、自分たちに戻ってないんだけど、自分たちが絶対不可欠のパートナーとして野合と言われようと何だろうと絶対手を組んでいるこの公明党が、この強固な票を徐々に減らしていくことになる。今度の安保法制の問題で、さらに減りますよ。だって創価学会内であれだけの反旗がひるがえったんですから。つまりこの盤石の公明党でさえ崩れ始めているということで、要するに安倍さんというのは、決して強くないということになります。で、問題は、この安倍さんに対して、これだけ減らしている自公に対して、それを上回る得票を(野党は)得られるかという話なんです。ところが、なかなかそれは難しい、ということです。
◆大量棄権層が投票に足を向けた事例
で、要するに風が止まったということが何を意味しているかというと、そういう広告代理店を使ってトータルプロデュース、トータルに宣伝をやって、国民を風で煽るという、こういう選挙はできなくなった。その結果、いままで風に煽られてドーンと小泉に行き、ドーンと小沢に行き、ドーンと橋下に行ったというそういう人たちが、ピタッと投票をやめて、2000万人ぐらいの大量棄権層として、それがひとつの層をつくってしまったということですね。そうなるともう風頼みの空中戦の時代は終わったということですね。じゃあ何が残るのかというと、これはもう対話戦、組織戦以外にないというのが、この段階(2014年の総選挙のあと)で僕が言ったことです。組織戦をするしかないですよと。組織戦で負けたら終わりですよということでした。そのことを証明したのが、実は大阪の住民投票とダブル選挙だったんですね。
この大量棄権層というのは、滅多なことでは投票所に足を向けてくれないんです。だけどこの大量棄権層が、投票所に足を向けてくれた直近の例があるんですね。これが大阪の住民投票でした。大阪の統一地方選挙、4月(2015年)にやられたとき、このときの投票総数は100万票で、投票率50%でした。ダブル選挙も奇しくも同じ数字なんですね。100万票、50%です。だけど、住民投票だけ140万票出てるんです。投票率67%。つまりこれはなんでしょうか。大量棄権層が統一地方選挙は棄権した、住民投票には投票した、ダブル選挙には棄権したということです。つまり住民投票というのは、大量棄権層を投票所に足を運ばせた、我々が知っている中で唯一の例なんです。
ちょうど大阪にはこの2000万を均等に割れば40万ぐらい行くんですよね、大量棄権層というのは。40万の大量棄権層がこのときは投票に来てくれた。これが実は住民投票の反対派の勝利をもたらすんです。多分この40万票のうちの10万票が橋下に煽られた、風で煽られた有権者。これが10万人ぐらい。それから30万人、これが反対をしてくれたので、だから住民投票では反対派が勝利したんですね。だけどダブル選挙では、その人たちが棄権に戻ったので、吉村は59万5000票した獲れなかったんです。10万票減らしたんです。それに対して我が柳本さんは30万票減らして、住民投票70万5000票だったでしょう、柳本さんの得票数は40万5000票だったんですね。つまり、大量棄権層が動いたから住民投票は勝った。だけど大量棄権層が再び危険に戻ったから、ダブル選挙では負けたんです。これはもう冷徹な事実だと思いますよ。自分でやってみて、数字もこれほどピッタリ合うと思わなかった。「エー!?」と思った。凄いねと。本当に判で押したようにきれいに出たので。
◆無関心層ではなく大量棄権層を投票所に向かわせる必要がある
そうすると僕らは、住民投票ではどうして大量棄権層が投票所に来てくれたのか。ダブル選挙はどうしてその人たちがもう一回棄権に戻ったのかというのをとことん総括しなければいけない。それは多分できていない。多分2つのことが言えるだろうと思うんですね。ひとつは共同・共闘の実姿を市民に見せることができたかということでいうと、やはり住民投票はすごかったですね。政党が勢ぞろいするわ、市民団体は市民団体の枠を超えて、政党の枠も越えて、辻つじで見たことのない形で宣伝をやってるわけですね。
この大量棄権層って、基本的に政治的な関心がないわけではないんです。だから無関心層だとは思わないでください。無関心層はいつでもいるわけですね。30%ぐらいは。こういう人たちは本当に無関心なので、言ってみれば箸にも棒にもかからないので、何やったって無理ですよ。要するにこういう人たちをどうこうと勘違いしてはいけないんですよ。いまだにそういうことを言っている人がいる。投票率を上げなきゃいけない、投票率を上げるには無関心層に働きかけなきゃいけないというけど、これはダメなんです。無理なんです。投票率を上げるためには、この大量棄権層に働きかけなきゃダメなんです。この人たちは政治的に関心がある。関心があるけど、裏切られ失望し絶望し、もう投票に行かないと決めた人です。だから関心はあるんですね。だから見てますよ、よく。だから目の前で見たことのない光景が展開していることに気づいているわけです。だって、地元でいつも自民党の宣伝をやっている人と、共産党の宣伝をやっている人が、並んでビラをまいているのを見たら、「お、何かすごいことが起こってる」と気づく。無関心層はそのことに気づかない。だけど大量棄権層はそのことに気づくんですよ。逆にダブル選挙のときに、「あ、共産党と自民党が滅茶苦茶ギクシャクしているな」って、無関心層は気づかないけど、大量棄権層は気づくわけですよ。だから彼らは投票に行くのやめちゃうんですね。だから、大量棄権層(が勝敗を決した)と言う。あえて無関心層とか無党派層(が勝敗を決した)とは言わない。それは絶対誤解を生むし、そういう分析は間違っていると思うから。
◆大阪ダブル選挙で維新は徹底した組織戦を実施
大量棄権層という、非常に特殊な人たち。だけど数はすごく多い。全国に2000万人いるわけです。この人たちはもう自民党には戻らない。民主党にも戻らない。維新にもほとほと愛想を尽かした。もちろん「みんな」にも愛想を尽かした。そうすると彼らは行き場所を失っているし、絶望して裏切られて、棄権に回ってるんだから、それはちょっとやそっとのことでは投票に行ってもらえないでしょうと。それには素晴らしい共同が得られているという事実を見せることが当然必要だし、それからやっぱり最後は対話ですよ。対話力。ひとりひとりを説得していくというそういうことでもない限り、大量棄権層が動くということはないだろうと思うんですね。
それはやっぱり住民投票とダブル選挙を見ると、その違いははっきりしてくる。今度のダブル選挙では、むしろ維新のほうが組織戦をやったんですよね。維新はさっき言ったみたいに5億円の話で、金がなかったので、(広告代理店へのトータルプロデュースを)頼めなかった。それが功を奏したんですよ。彼らはそういう空中戦をやろうとしても、金がなくてできなかった。仕方がないから、ある意味維新は最後は組織政党として力をつけていたからだと思いますけれども、徹底した組織戦をやったんですね。どういう組織戦をやったかというと、国会議員や地方議員が大阪に百数十名いるんですよね。この百数十名に1日300握手、1日600電話、1日10辻立ちというノルマを課して、昔の某政党がやっていたような、朝集中・昼集中・夜集中みたいに、このノルマを果たさせるために徹底的な監視をやったんです。突然抜き打ちで監視員がやってくるとか。住民投票のときは、これをやれなかったんですよ。維新の議員たちは、橋下には良い面をしておいて、実際の住民投票の運動ではパタパタ(左うちわの姿勢)やって動かなかった。維新はそれに懲りて、ノルマをやりまくった。ノルマを徹底的に点検して回ったんですよね。だから維新の議員は「こんなのブラック政党ですわ」と言って愚痴っていたというわけですね。そんなボヤキが出るぐらいひどかった。600電話を百数十名がやったんですから、1日に6万本から8万本ぐらいの電話をかけていたということです。ダブル選挙の間は維新の姿が全然見えなかったので、外に出てこないんですよ。住民投票のときは300台の宣伝カーが走り、新聞に折込チラシが出る、テレビコマーシャルは出る、ものすごい露出をした。あれに比べてダブル選挙の維新というのはほとんど姿が見えなかった。だから僕らはタカをくくった。「奴ら全然出てこないじゃないか」と。出てこないですよ。1日7万本も電話してるんだもの。勝てっこないですね。
◆大阪の自民党は組織崩壊で勝てなかった
多分共産党も1日7万本なんて掲げてないですよ。そんな力はいま共産党にはないですよ。もちろん民主もあきません(ダメです)よね。自民に至っては府議会議員がゴルフに行ってるわけでしょ。こっちには自民には組織があると思ってるけど、全然組織がなかったんですね。大阪の自民党には。だから組織戦で負けたわけですよ。完全に負けました。しかもどういう組織戦をやったかというと、彼らはもともと自民出身ですから。自民党の名簿に従って、とことん電話がけをやってるんで、自民党支持層がきれいに掘り崩された。だから自民党の5割が維新に崩れたというわけですよね。こんなこと(ゴルフ)やってるもんだから。(大阪の)自民党の組織そのものが崩壊した。一番悲惨だったのは、佐藤ゆかりがそうですね。(2014年の総選挙で)枚方に落下傘候補で降りてきた。だけど枚方の自民党支部は、「佐藤ゆかりは絶対許さない」みたいな関係になっていて、自民党の支部は一切彼女の周りには近づかなくなった(※編注:大阪ダブル選挙の直前の2015年8月に実施された枚方市長選で自民は分裂選挙となり、大阪維新候補者が漁夫の利で当選するハメになった)。そのあと今度は、政治資金の問題をめぐって訴訟合戦になっているんですよ。そのぐらい(大阪の)自民党は組織的に崩壊しちゃってるんですよ。そんな組織で勝てるはずがないということ。組織戦で負けたということ。それがひとつ。
◆「身内」をいくら固めてもダメ
それからもうひとつは、オール大阪(自・共などの反維新陣営)自身が、やはり組織率が不足していた。ギクシャクしてるし。こんな1日数万件の電話を凌ぐような対応をやったかということ。それから住民投票のときは、辻つじに出てシール投票をやったり、いろんなことをやりましたけど、そんな対話戦はダブル選挙のときはなかったですよね。はっきり対話数は少なかったです。やはり最終的には対話数がモノを言うわけですよね。組織戦で勝たなければ、絶対勝てないということを、このときに我々は学んだんですが、北海道5区も同じ結論、ということになります。やはりとことん組織戦をやること。それがやっぱりすべてを決する。誰を対象に組織戦をやるかというと、大量棄権層ですね。身内をいくら固めてもダメですよ。この大量棄権層をひとりひとり説得して投票所に向かってもらうような、そういう選挙ができない限り勝てない、ということが大阪のダブル選挙でも明らかになったし、そしてあとで言う北海道5区でも明らかになったと思います。
◆堺市長選から始まった保守と革新の共同
さて、もうひとつの問題、これが社会保守という話です。これもやっぱり大阪が引き金だったわけですね。保守と革新が共同するという妙なことが起こり始めた。沖縄で、じゃないんですよ。堺が始まりなんです。この堺で竹山(竹山修身市長)さんを推していった(編注:いわゆる「大阪都構想」で堺市を「大阪都」に吸収併合しようとする維新から堺を守るということを旗印に、保革の枠を超えて共闘した)。これが沖縄の人たちを励まして、じゃあ名護でやろうということになった。名護市長選で稲嶺(稲嶺進市長)さんを保革を超えて推すという、そういう状況がつくられた。その稲嶺さんの成功を受けて、翁長さんを押し上げていく。そして最後、衆議院の沖縄の4つの選挙区で候補者調整をやるというところまで進んでいったわけですね。堺市民を喜ばせるために、ときどき「極右との闘いは堺市民に学べ」とか「日本の夜明けは堺から始まった」とか、いろいろ言うわけですが、これはいったい何が起こってるかということなんですね。そっちのほうが大事なんです。
◆維新のガチの支持層とは
大阪の闘いもそうだったんですね。ひとつは、大阪の住民投票を通じて分かったことは、これがひとつの大きな考えの伏線になるんですが、維新のガチの支持層って誰なんだということなんですね。巷では、若い非正規の、閉塞感を持った人々が、橋下を推しているんだというふうに言われ続けてきた。そして、住民投票が終わったときに、辛坊治郎(ニュースキャスター)さんが、「シルバーデモクラシー」ということを言いました。つまり「若者の夢を年寄りが摘んだ」という言い方をしました。あたかも若者が維新の支持層であるかのような幻想が振りまかれて、意外に(その幻想を)共有してるんですよね。だけど、あの住民投票で、現場で闘った人は、みんな気づいた。維新の支持層ってそんなところにはいないということを。
維新の支持層って何かというと、勝ち組サラリーマンです。はっきりしています。具体的に言えば、西区とか北区とかの高層マンションに住んでいるような人々ですよ。それから郊外に行ったら、高級住宅地に住んでいるような人ですよ。そういう、いわゆる勝ち組、ホワイトカラー層、そしてその主婦。だって、「ちちんぷいぷい」とかを観ている人って、普通の人(日中には会社勤めなど仕事中の人)は観てませんよ。大阪のおばちゃん、観てるはずがないじゃないですか。みんな2馬力(共稼ぎ)で仕事に出てるんだから。だからそういう層(専業主婦)ですよね、むしろ。どういう人たちかというと、これはもう本当に実感していて、僕は住民投票の最終日(投票日)にスタンディングをして、投票所で。そしたら西区の北堀江あたりで高層マンション群から、投票に行く人が降りてくるわけですよ。どう見たってホワイトカラー。もちろん休みの日なので、ネクタイはしてませんけどね。でもどう見てもホワイトカラーですよ。それが維新の運動員に、「よっ!」とか言って偉そうに声をかけていた。「クソー!維新かぁ」とか思って見てると、その後ろを3歩下がってパートナーの人が、奥様がついていくんですね。でも、投票所に夫婦で行くんだよね。しかも旦那が先頭を切って歩いていって、奥さんがその後ろをしずしずとついていく。で、ホワイトカラー層というのはどういう人たちかというと、基本的に新自由主義的な改革に眩惑を持っている人たちで、しかも自分たちはまさにグローバル資本主義と最前線で闘っているという誇りも持っていて、ビジネス書なんかも読みまくっている。そういう人たち。ある意味ではプライドが高いし、高学歴で、新自由主義的改革に幻惑され続けている人たちです。
それともうひとつは、重税感。これは昔からヨーロッパやアメリカの政治学では言われてきたことなんだけど、やっぱり最後はタックスペイヤーですね。この人たちの反乱が起きている。彼らは、多分大阪みたいな貧乏人のまち、貧乏人と年寄りのまちにいると、税金を払ってるのは自分たちだけだっていう被害妄想に駆られるんです。多分実際そうでしょう。南のほうに住んでいるお年寄りやシングルマザーや、低所得者は基本的に税金払えないわけですよ。税金を払っているのはホワイトカラーの人たちだけだと。だけど、行政の恩恵は彼ら(ホワイトカラー)は受けているかというと、ほとんど何も受けてないよと。要するに自分たちだけが税金を払って、この税金は貧乏人と年寄りに食い潰されている、こう思っているわけです。すごい被害妄想。
それからもうひとつは「公務員のバカタレ」という奴ですよね。公務員のバカタレども、シロアリどもに、自分たちの税金は食い潰されていると思っているわけだから、だから公務員攻撃をやったら、みんな喝采するわけでしょ。そして生活保護。何だあの不正な生活保護の請求はとか、年寄りがこんなに税金を食い潰して、俺たちの税金を何だと思ってるんだ、とかって言う、そういう人たちです。その人たちが、やっぱり大阪には多分40~50万人いるんですよ。いてもおかしくないですよ。200万都市の中で。ホワイトカラーサラリーマン、その人たちが必ずしも大阪生まれでも大阪育ちでもなくて、東京本社から派遣されてるかもしれない。そういった人たちこそがコアな支持層で、この風で引きつけられている。閉塞感を持った若者が、確かに引きつけられているんです。でも、それはたかだか10万、あるいは20万。そういうオーダーです。橋下が75万票を獲ったときは、多分これ(若年層)が30万近く引きつけられていたと思うんだけど、今度のダブル選挙では、これはほとんど止まった。それに加え、自民党支持層が崩されたということですよね。
◆「新自由主義とどう闘うか」がしきりに語られるように
やっぱりひとつの対立軸、対抗軸というのは、この新自由主義的な改革をどう評価するかというところにある、というのが都構想の闘いを見て、かなり実感的に確信しました。そして多分、都構想を実際に闘った大阪の人たちは、みんな多分実感的にこれを感じ取った。ですから、都構想以降、大阪の人たちの間では、新自由主義とどう対決するか、新自由主義とどう闘うかということがしきりに語られるようになった。
それから、このあいだ4月24日に民意の会という、市民団体をつなぐ市民団体をつくったんですね。これは誰が呼びかけたかというと、浅野秀弥という、もともと橋下を引っ張り出した自民党系市民団体のドンですね。一見怖そうな人ですけど。でもとてもいい人ですよ。話をしていて気持ちのいい人です。その背後にはミキハウズの社長がついていたりして。それから平松さん(平松邦夫・元大阪市長)を担いでずっとやってきた中野雅司さん(中小企業経営者)という人。この両人と共産党、それから梅田章二さん(弁護士)とか、共産党の選対責任者も入ってたりして、まさに超党派です。監査役か何かは元公明党府議なんていう話で、そういうのをつくったんだけど、この民意の会のテーマも、新自由主義的な流れにどう抗していくのかということ。つまり新自由主義との闘いということでは、自民党系であろうと共産党系であろうと、それは同じ課題として共有できるという、そういう話になってきているわけですね。
◆日本の保守が割れている
つまりいま日本の保守が割れているということなんです。どういう割れ方をしているかというと、これは宮台真司氏(首都大学東京教授)の言葉ですが、こういう分け方(経済保守・政治保守・社会保守)をしています。これは沖縄を分析するときに、彼はこういう分け方をしたんだよね。
「経済保守」というのは、新自由主義を推進しようとする連中。これが保守なのかということは、文句はいろいろあるんだけど便利なので、さすが宮台氏は頭がいいなと思って、そのまま使ってるんですけど。これを経済保守と呼びましょうと、新自由主義的なですよね。大阪でいえば維新です。維新の会というのは、実は自民党を割って出た連中でしょ。それはこの経済保守なんですよ。それと「政治保守」。これはいわゆる靖国派です。歴史修正主義派です。「大東亜戦争」を美化する連中だと思ってください。これが政治保守。だけど、これはもともと日本の保守の主流ではないんですよ。日本の保守の本当の主流は、言ってみれば地域のコミュニティだとか地域の商店街とか、地場産業だとか農業だとか、そういったものに根差しながら、そのコミュニティを維持し、その力に乗っかって議員になっているような人たちですよね。これが本来の保守です。この人たちは、これ(経済保守)は相いれないわけですよ。その人たちを便宜的に宮台氏の言葉を使って「社会保守」と呼びます。
そうすると、保守は大きくこの3つに割れている。経済保守と政治保守は、基本的にニコイチです。小泉がそうだったように、要するに新自由主義的な改革をやって格差を拡げたり不安を高めたりすれば、ナショナリズムでつなぐしかないから、これは常にニコイチで出てくるわけですね。小泉は経済保守を代表する政治家だとすれば、安倍は政治保守を代表する政治家で、つまりそれは清和会で、ニコイチのセットだという話であって、そうすると、それにはどうしても相いれない社会保守というのが、これは本来の保守が、ある意味では欝々としているということです。その典型が野中広務です。何で野中広務が突然共産党の新聞に出てきたりするのかとか。それから古賀誠とか。それから亀井静香。亀井静香かよと思いましたけどね。それから山崎拓。もともと自民党右派だと思っていたけど、彼は社会保守なんですね。だからこういう安倍的な靖国派の戦争ごっこには耐えがたい気持ちを持っている。新自由主義というのは、もともとの保守基盤を掘り崩していってしまうわけだし、政治保守の甘っちょろい戦争ごっこは本当にヤバイと。戦争を経験している、あるいは戦争をある意味引きずっている保守の人たちからすれば、とても我慢できない存在なわけですよね。だからこの間、すごい勢いで自民党の重鎮と言われている連中が、共産党と手を組み始めている、ということが起こるわけです。
それから大阪でいうと、柳本卓治さん(大阪府選出の自民党の参議院議員)。柳本顕(大阪ダブル選で維新候補と闘った自民党府議)の叔父にあたる人。彼も筋金入りですよ。だって小泉郵政改革に反対した参議院議員(当時は衆議院議員)なんだもの。もともと筋金入りの社会保守ですわ。そういう人がいるわけですよ。保守の中にも。それからこの間、市民運動的に結びついた例でいえば、浅野秀弥さんなんて、はっきり言って右です。でも、社会保守なんで、だから民意の会に共産党が入っていても文句言わないどころかウェルカムで、肩を組んだりしてるわけですね。すごく仲良くなってるわけですよ。そうするともう、要するに、いまや保守とか革新なんて、もうどうでもいいんですね。この対立軸の前では、社会保守と革新は十分に手を組める。それどころか、実際にいろんなところで手を組んでいるわけです。野中さんが赤旗に登場するというのも手を組んでいるということだし、大阪の民意の会というのもその例だし、沖縄でいえば、翁長・仲里というのは典型的な社会保守です。社会保守は島尻(島尻安伊子氏、沖縄・北方担当大臣)だとか何とかって、ああいう政治保守や経済保守みたいな人とは、相いれない。だから自民党から追い出されちゃった。でも、彼らは我々が自民党だと思ってますからね。元県連幹事長、歴代県連幹事長ですから。だから、安倍たちに乗っ取られたと思ってるんですね。
大阪ではどうなってるかというと、経済保守が維新として出てきてしまったあと、政治保守と社会保守が同居していた。住民投票のときは社会保守が自民党をリードした。府連会長は竹中直一(大阪府選出の衆議院議員)という典型的な社会保守だからね。だからすごくスムーズに手が組めた。で、官邸がまずいと思って、府連会長をすげ替えた。誰に替えたかというと政治保守の中山泰秀(大阪府選出の衆議院議員)ですよ。それでギクシャクし始めるわけですよ。自民党内の政治保守と社会保守がなかなか相いれないからね、ギクシャクしちゃうわけ。そのギクシャクが、今度は共産党との関係のギクシャクに波及したから、オール大阪はズタズタになったわけですね。だからダブル選挙は勝てなかった、ということになるんだけど、まさにこの分裂(の教訓)をどのように僕らが活かしていけるかということですね。
闘う相手は、経済保守と政治保守ですよね。その中で社会保守をどういうふうに味方につけて、沖縄みたいにその人たちが割って出るという状況をつくっていくのか。大阪も一時「大阪自民党」なんてことが言われて、割って出るのではないかとささやかれたこともあったんだけど、そういう状況を日本全体でどうつくっていくかということが、一方で問われている。だから、大量棄権層を投票所に連れてくると同時に、保守を切り崩していくということがもうひとつのポイントになると思うんですね。
◆地方の自民党議員が安保法制に大反対した
保守が割れているというひとつの兆候が、安保法案に対する自民党内の意見分布ですね。自民党内だって、3割ぐらいは反対していたんですね。それからこれはもっと根強い反対があるということの証拠なんですが、安全保障法制に対する地方議会からの意見書で、廃止を求める、廃案を求める反対の意見書というのが181も出ているんです。これは保守の人がやらない限り、こんな数にはならないです。一番の典型は、広島県庄原市の小林議員(小林秀矩氏)。自民党の広島県議会議員ですが、庄原市というのは20人の市会議員がいる。それを庄原選出の小林さんが取りまとめて、安保法制の廃案を求める市民の会というのをつくるわけですね。それに保守の人たちがみんな入った。(庄原市議の)20人中19人がそれに加わった。1人加わらなかったのが公明党。共産党は置いていかれそうになって、慌ててついていったと。先に行っちゃうからね。小林さんが。19人の市会議員が入って、市民に対して署名集めを始めた。1万数千の署名がすぐ集まった。この署名を持って、小林さんという県議は自民党本部の安倍さんに叩きつけに行くんだけど、門前払いを喰らったという、そういうニュースが流れてました。余程そういう保守の人がいなければ、こんなことにはならないんですよ。やっぱり、保守の中で割れているというひとつの証拠ですね。
それから、これは朝日の調査なんですけど、これ面白い。去年11月の調査ですけどね。「自民党の中で憲法改正を急ぐ必要はない」という人が6割もいる。この直後に安倍さんは憲法改正を急ぐと言い出したんだけど、自民党内では6割が反対なんです。それから憲法9条を変えるほうがいいというのは37%なのに対して、変えないほうがいいというのは43%いますね。自民党って、反対の人が多いんです。明確に。半分ぐらい反対なんです。安倍さんの(安保関連)政策には本来反対なんです。これを(うまく利用して)崩さない手はないよな、と思うわけですよ。だから僕が言ってるのは、自民党のポスターが張ってあるところに、全部軒並み各戸訪問すべきだと。そうしたら2人に1人は署名してくれるに違いない。これをどういうふうに可視化していくか。そして保守が割れているという、そういう状況をつくりだすか。これはもうひとつのポイントになる。大量棄権層を投票所に向かわせること。そして、保守の中で社会保守を浮かび上がらせて、経済保守との対立を明確にしていくこと。そういうことがいま求められているのだろうと思います。
◆「路上」から始まった新しい動き
そして、皆さんも期待されている新しい動き。これは言ってみれば震災のもたらした連帯とか共同とかに改めて価値を見い出した世代、若い世代が、震災から4~5年経って、ようやく表面に表れてきたということなんだと思います。いままでの伝統的な革新保守とかとは違うタイプの人たちで、組織とかダメなんですよ。彼らは孤独に考え、孤独に判断し、孤独に行動に立ち上がって、その行動の場で仲間と初めて出会う、それが彼らのスタイルなんです。もともとSEALDsという組織も、そういうふうにして生まれたので、もともとは反原発の集会だとか、秘密保護法の反対の集会だとかに、それぞれたったひとりで参加した人々が、「あ、同じようなことを考えている人がいるんだよね」という話で、出会って、その出会いがもとでSEALDsになっていくんですね。大阪のSADLもそうです。あれも、ヘイトに対するカウンターだとか、キンカン行動(金曜日に関西電力に抗議する運動)だとか、そういったところに、ひとりで、孤独に参加をした人たちが、その路上で出会うわけです。だから、彼らは「路上」という言葉をとても大事にする。「私たちは路上で出会い、路上でSADLは生まれた」あるいは「路上でSEALDsは生まれた」と。だから、組織していくということは苦手。苦手だし、考えてもいないし、それは自分たちのスタイルじゃないと思ってる、そういう人たち。だけど、そういう全く新しいタイプの担い手が、日本の民主主義の中に登場してきたというのは、とても大事なことだと思っていて、彼らがこういう状況をつくりだしてくれたということに、非常に感謝をしているし、注目もしているということなんです。
◆野党が共闘しても大量棄権層を動かさないと勝てない
さらに、彼らは「野党は共闘」ということを迫ってくれた。彼らの役割は、ここがまさに中心だったと思うんですね。だけど、繰り返しますが、「野党が共闘しても勝てない」わけですよ、本当は。問題は、野党が共闘するという、このSEALDsやママの会の人たちの訴えによって実現したこの条件を、どう活かしていくかということに懸かっていると思う。単純に考えてください。自民党と公明党を合わせると、いくら減ったとはいえ、2500万票獲れるんですよ。自民党は1700~1800万票、公明党は700~800万票、足せば2500万票。いま民主党は何票獲れますか。900万票です。共産党は何票獲れますか。600万票です。足したって1500万票ですよ。
勘違いしちゃいけないんですよ。風が吹かないかとか。大量棄権層が投票所に行かない限り、いまの実力で、組織戦でガチンコで当たったら、野党はいくら共闘したって負けなんです。これはリアルに見てください。自公2500万票、維新も入れれば3000万票近く。それに対して民共は1500万票、そこに生活や社民を入れても2000万票には届かない。これがリアルな数字です。ここに大量棄権層の2000万票が加わると、逆転する。大量棄権層を投票所に向かわせない限り、絶対に勝てません。これはリアルな、厳粛な数字だと思ってください。
何だか、「共闘したら勝てる!」みたいな幻想が、いま共闘している人たちの間でどんどん振りまかれているけど、そういう考えはとても危険だと僕は思っています。SEALDsはそう言うよ。ママの会はそう言うでしょう。そうやって共闘を進めてきたんだから。だけど、それを受けて共闘した野党の側は、やはり政治のプロなんだから、そのぐらいちゃんと計算しなきゃダメですよね。自分たちの基礎票をいくら足したって勝てない。何が残っているかと言ったら、大量棄権層です。無党派層でもない。無関心層でもない。大量棄権層2000万票です。ここが動かない限りは勝てないということを、やはり再確認すべきだろうと思うんですね。
◆「敷布団」は覚悟を決めるべき
いま、野党統一候補がどんどん進んでいます。僕の計算ではここまで来ているので、24ぐらいまで行ったと思います(2016年4月27日時点)。つい最近も、絶対無理だといわれていた群馬、それから全然動きがないといわれた岡山で急転直下、統一候補が決まっていますので、残りの秋田、福島、茨城、岐阜、三重、奈良、大分、鹿児島、これらはほとんどが行くんじゃないかと思います。全然動きがないのは香川と佐賀なんだけど、この中でも茨城とか、中曽根の秘書だったことを自慢げに語る民主党候補を統一候補にできるのかとか、いろんな話があるし、いろいろな問題が起きますけど、でも基本的に統一候補ができていくだろうと思うんですけど。でも、さっき言ったように、統一候補ができたからといって、勝てるわけではないということなんですね。確かに認識が新しい段階に入ったんだけど、この条件を本当に活かしていけるかどうかは、これからに懸かっていると思います。
とりわけ問題は、確かにこのSEALDsとかママの会とか、これを中野晃一さん(上智大学教授)は「掛け布団」と呼んでいる。これ、なかなかいい言葉です。「敷布団」は従来の組織的な野党勢力、労働組合も含めた勢力だと。この掛け布団だけでも風邪をひくし、敷布団だけでも風邪をひくので、やっぱり掛け布団と敷布団が両方ないといけないという話なんです。その通りです。だけど、こと、本当に勝とうと思ったら、敷布団の仕事がないと勝てない。まかり間違って、風で勝とうと思ったらダメ。掛け布団の仕事だと思ったらダメですよ。「SEALDsやママの会が風を吹かせてくれる。それで勝てる」と勘違いをしていたら負けます。やっぱり、敷布団が本来の組織力を発揮しない限り、大量棄権層をひとりひとり説得して、投票所に足を運ばせ、保守層を崩すといったことはできないんですね。そこをやっぱり伝統的な敷布団が覚悟を固めるべきだと思うんですね。
◆「署名」は大量棄権層や保守層に持っていくべき
その非常に重要なポイントして、署名運動がいま提起されていますけど、これは対話の武器ですからね。これを身内の署名にしたらバカですよ。つまりこれを大量棄権層のところ、保守層のところに持っていかない限り、意味がないんですよ。2000万という数字(2000万人署名)も、奇しくもそういう数字なんですね。これを自分たちの組織内で回して、労働組合でそういう運動をやってるんだよね。これで十分集まったとか言ってる。それでは意味がないんですよ。これをどうやって大量棄権層に持ち込んでいくのか、保守層のもとに持ち込んでいくのか、本当にそういう構えができるかということが問われていると、僕は思います。
◆北海道5区補選も「風が吹かなかった」
さて、北海道5区ですけれども、単純に言えば、ここ(千歳・恵庭)で負けている分を取り戻せなかったということです。千歳、ここは自衛隊員がいっぱいいるわけですよ。それから恵庭。ここで1万5000票ぐらい差をつけられているでしょ。つまり自衛官の組織票によって向こうは勝ったわけです。どうしてかというと、風が吹かなかったからです。むきだしの組織戦になったわけですよ。むきだしの組織戦で、自衛官が大量にいる千歳・恵庭で負けた分を、札幌・江別・石狩・北広島で取り戻せなかった。だから負けた。ただ、前提は「風が吹かなかった」ということです。だから自衛隊員の組織力、自衛隊員と自衛隊員の家族、その数だけ負けた、そういう数字です。
で、そういう数字をリアルに見ておく必要がある。確かに、無党派層や政党支持なし層の7割は固めました。いいんです。政党支持なし層というのは、でもいつも投票に行く人なんです。この人たちは大量棄権層ではないんです。「ここで7割を獲ったから野党共闘には意義があった!」と言ってる人がいるけど、甘い。甘い。それは甘い。この人たちはいつも選挙に行くんですね。選挙に行かない人を行かせてナンボだということなんです。本当にそういう数字が出たんですね。これ分かりやすいでしょ。2009年に民主党が勝ったときに、民主党は18万票を獲り、そして自民党は町村(町村信孝氏)は15万票を獲ってるんですよ。そのあと12年に12万票。つまり民主党に負けたときよりも(得票を)減らしている。全体と同じ結果ですよ。だけど、民主党は、ここ(2009年のとき)に投票した人は、みんな大量棄権に回ってしまったので、足して何とか勝ってるけど、でもそこそこの数字しか出ていない。そしてこれが、前の2014年の選挙ですね。自民党は相変わらず町村が獲った、民主党に負けたときの得票数を回復していないけど、でも共産と民主を足しても勝てないというのが、これが実際の数字でした。で、どういう数字が今度の補選で出たかというと、同じですよね。ま、若干増えた、5000票増えた。つまり組織戦をガチでやって、自民党が持っている組織力、これが限界まで出てるということです。自民党はよくやったと思いますよ。本当にギリギリの組織力を出した。でも町村が獲った民主党に負けたときの得票は回復していない。つまり「風は吹いていない」「自民党には戻らない」、そのことがまた証明された。
じゃあ、こっち(野党陣営)は増やしたかというと、この数字とほとんど変わらない。つまり、共産と民主はお互いそれぞれの組織の限界まで票は出したけど、だけど大量棄権層を全く動かすことはできなかったということですね。この大量棄権層は、北海道5区に6万票ほどあるわけです。つまり民主に18万票入ったときの、このうちの6万票ぐらいが大量棄権層になっているわけですね。この大量棄権層がもし投票に向かっていてくれたら、圧勝だった。大阪ダブル選挙と同じ結果なんです。もう絵に描いたように僕が計算してきたのと同じ結果です。つまり大量棄権層を全く動かせなかった分、組織と組織のガチの闘いでお互いギリギリまで組織票を出して、その結果、この差で負けた。最終的には自衛隊と自衛隊員の家族の組織票がモノを言った、そういう選挙だったということです。やっぱり最終的には、「野党共闘しても風は吹かない」と思ってください。風に頼ってはダメなんです。でも北海道5区の市民の会は、みずからを「市民の風」と名乗り、ある意味「風」に期待したんですね。野党が共闘したら風が吹くと思ったんです。だけど、風は吹かなかった。大量棄権層はこんなことぐらいでは投票に行ってくれないということですね。
◆地道に一軒一軒訪問し、ひとりひとりと対話するしかない
じゃあ、どうしたらいいんだということです。でも、北海道の運動はデモ・集会・街頭演説に相当依拠して、風を吹かせようとしました。そういうことに力を注いでいたけど、本当はそこではなくて、敷布団が地を這うように組織戦や対話戦をやらなきゃいけなかったんです。僕は、いま日本全体にSEALDsブームやママの会ブームとかがあって、彼らの役割を高く評価することには何らやぶさかではないんだけど、彼らに過剰に期待をすることは間違いだと思う。彼らは風を吹かせてはくれない。そして組織も、彼らがいくら頑張っても、組織的に拡がるものは知れている。大量棄権層を動かすだけの対話や組織なんてできないわけです。組織戦はできないわけですよ。だからやっぱり、あえて敷布団側と言ってしまうけど、僕ら敷布団側の人間がやらなければ勝てないということ。それが結論ですね。参議院選挙に向けていろんな揺れが起きると思う。SEALDsやママの会、そういった新しい動きに対して、過剰に期待して風に期待する、そういう流れがいっぱい出てくると思うけど、肝に銘じてそんなことでは勝てないんだと。やっぱり地道に地を這うように、一軒一軒訪問し、ひとりひとりと対話していくことがない限り、日本の民主主義が勝利を収めることはできないのではないかと思います。
【了】(文中一部敬称略)
◎講演概要
掲題:市民社会フォーラム第176回学習会 十三藝術市民大学 社会学部
「保革」を超え、転形期を切り拓く共同を-大量棄権層・社会保守・市民連合-
日時:2016年4月27日(水)18:30~20:30
会場:シアターセブン BOXⅠ(大阪・十三)
講師:冨田宏治さん(関西学院大学教授、関西市民連合)
冨田宏治(とみだ・こうじ)さん
1959年名古屋生まれ。関西学院大学教授。専門は日本政治思想史。
名古屋大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士後期課程を単位取得退学後、関西学院大学法学部専任講師・助教授を経た後、1999年より現職。
著書に『核兵器はなくせるか? Yes,we can!!』(共著、かもがわ出版、2009年)、
『丸山眞男―「近代主義」の射程』(関西学院大学出版会、2001年)、
『<自由 -社会>主義の政治学―オルタナティヴのための社会科学入門』(共著、晃洋書房、1997年)など。