【講演録】李鍾元さん講演「北朝鮮の核・ミサイル問題 非軍事的解決の道を探る」(2017/12/9土@神戸)

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     北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が国連安保理決議を無視して推し進めている核・ミサイル開発が進むにつれ、武力衝突や全面戦争勃発への懸念が高まっています。最高指導者の金正恩氏の指揮のもと開発を進めている大陸間弾道ミサイルは、アメリカ本土まで到達可能な性能を持っていることが確実視されています。これにより、北朝鮮に対する予防的先制攻撃論が米国内でくすぶっており、トランプ大統領がどのように対処していくのか、予断を許さない状況となっているのはご周知のとおりです。このような状況に関して、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で教鞭を執る李鍾元(リー・ジョンウォン)教授に神戸までお越しいただき見解を語っていただきました。

【以下は、講演での発言内容の抜粋・要約です】

現実的かつ冷静な対応が求められる

冷静に考えると、朝鮮半島での本格的な戦闘は取り得ない選択だと思う。構造的には戦争は非常に起きづらいという状況である。ただし、とりわけ今年に入ってから朝鮮半島情勢が不安定になったのは、北の指導者が予測不可能だというファクターが以前からあったことにも増して、ある意味では状況の決定権を持っているアメリカの指導者(トランプ大統領)がなおさら予測不可能であるという面が出てきたことだろうと思う。アメリカが現実的かつ冷静な判断をするかどうかが問われている。 

トランプ大統領に関しては、非常に派手な言動ではあるものの、一定の範囲内で穏当な判断をするだろうと私は思っている。一方、「もうすぐ朝鮮半島で戦争が起こりそうだ」という話が、とりわけ日本で流布された。世界的にはそうでもなかったが、日本では脅威感が高まり、避難訓練をやったりしている。健全な警戒感や危機感を持つことは大事ではあるが、パニックのようになってはいけないと思う。

日本では今「北朝鮮は脅威だ」と言うと、全ての対応が正当化できるような感じである。しかし、それに対処していく上では、どういう性質の脅威なのかをきちんと考えるべきなのは、国際政治学や安全保障の理論的な議論からすると当然のことである。脅威にもさまざまなレベルと形があり、それに応じた対応はいろいろあり得る。全ての脅威に対して「ミサイル防衛」や「軍事力強化」ではない。

北朝鮮の意図は「現状維持」だと見るべき

北朝鮮の総合力を時系列を入れて考えると、韓国との比較という点では、以前のほうが強力だった。少なくとも70年代ぐらいまでは、北の産業力や経済力は、数値だけを見ても北が南を圧倒していた。政治体制も当時のほうが安定していた。韓国にとっては当時のほうが、北からの軍事侵略がもう一度あるかもしれないと警戒しなければならない状況だった。

北は核兵器こそ持っているものの、戦車やレーダー、特に航空機などの通常兵器は古くなっており、少なくとも装備の面では韓国のほうが圧倒的に有利な状況である。また、北朝鮮の燃料備蓄量を考えると継戦能力は3~6カ月とみられており、もしも全面戦争になると1週間~1カ月程度ではないかとも言われている。経済水準についても、国民の所得が北朝鮮は1500ドル程度なのに対し、韓国は3万ドル程度。人口比(※北朝鮮約2500万人/韓国約5000万人)も考えると、北朝鮮の経済水準は韓国の1/40~1/50程度と考えられる。経済規模という点では日本の島根県と同じぐらいとも言われている。そういった国が核兵器を開発し100万人規模の軍隊を持っているのは異様と言える。

北朝鮮は、まだ国が強かった金日成の時代、隙あらば赤化統一、つまり共産主義による南北統一を図ろうと目標を定めていたし、朝鮮労働党の規約ではいまだにそれを消していない。しかし、今の北朝鮮は現状の体制を維持するだけで精一杯という状況に汲々としている。以前のような「修正国家」ではなく「現状維持国家」と見たほうがいい。例えば、日本やアメリカを攻撃し占領しようと思っているとは到底考えられないし、韓国に対しても、一部に(赤化統一の)夢を見ている人がいるかもしれないものの、基本的に北の意図は「現状維持」と見るべきだと思う。

イランと北朝鮮の違い

北朝鮮をイランと比較してみると、イランは文明や宗教の大国であり、その影響力はシリアにまで及ぶ。軍事力もあるイランは閉じ込めないと拡がる脅威であるとアメリカは位置づけている。一方、北朝鮮に関して言えば、中国・韓国・日本・ロシア・アメリカが地理的かつ政治的に囲んでいる。いずれも北朝鮮よりも強く、言わば「強い国に閉じ込められた脅威」という状況である。イランのように宗教的影響力が中東全体に及び、トルコやサウジアラビアまでが右往左往するような状況と比べ、北朝鮮の金日成主義が東アジアに拡がるとは、恐らく誰も思わないし、イデオロギー的脅威はない。もちろん、ミサイルの飛距離は伸びていっている点は脅威ではあるものの、相対的に見れば北東アジアでの脅威は小さくなっている。その過程においてどのようにマネージ(管理・コントロール)し変化させていくのかが課題である。

とはいえ、ヒトラーのように武装してどこかに攻め込んでいく脅威かというとそうではない。端的に言えばそういうことである。しかし、日本ではなぜか、北がミサイルを持つと、今すぐにでもミサイルを撃ち攻め込んできそうな印象で語られる。日本の政策決定者もそうなるとは思っていないだろうけれども、イメージとしてはそういうものを増幅している。それがより現実的な判断を妨げるのではないかと思う。

冷戦期における米国の対ソ戦略から学ぶ

冷戦期におけるアメリカの対ソ戦略にはどういう選択肢があったのかを、ブルース・カミングスという学者が3つに分類している。一つは「巻き返し」。つまり、共産主義を倒すという政策で、50年代に盛んに言われた。もう一つは「封じ込め」で、アメリカの政策として定着した。そしてもう一つが「国際主義」というものである。このうち、ソ連であろうが中国であろうが、脅威が現れたときには軍事力を使ってでも倒してしまうのが「巻き返し」である。ブッシュ政権による「レジームチェンジ」もこれに該当する。

これらの対極にあるのが国際主義である。これは冷戦期におけるフランクリン・ルーズベルトのように国際的な枠組みをつくり、潜在的敵国であっても枠組みに取り込んでおいて、国連の中で大国扱いをしながら、相手を徐々に変化させる。つまり、脅威を枠組みの外においておくのではなく、中に取り込んで対処するというのが、カミングスが概念化しようとした国際主義である。一方、封じ込めというのは相手を認めないけれども、かといって叩くわけでもなく、どちらかというと孤立化させる。例えば中ソの包囲網をつくって圧力を掛け、相手が変わっていくか崩壊するかというふうにやっていく。ルーズベルトの後の大統領はみな封じ込めをとったが、アメリカの中にも常にソ連に対する予防的戦争論があった。今の北朝鮮に対する議論と似ているが、脅威になる前に芽を摘んでおこうというものであったが、トルーマンなどはそれは危険すぎるということで、アメリカの政策は封じ込めに落ち着いた。 

これらのことは、脅威が出てきたときの対処方法として一般化できる。つまり軍事力を使って叩くのか、枠組みをつくって長期的に外交的にやっていくのか。いろいろなバリエーションはあると思うが、理論的にはこの3つの選択肢である。

冷戦終結後の米国の対応

アメリカは冷戦終結後、対立国への対応として「エンゲージメント・ストラテジー」(関与戦略)を採ってきた。エンゲージメントとは関係を持つという意味であるが、元朝日新聞記者の船橋洋一氏は「取り込み戦略」と意訳した。私は良い意訳だと思う。つまり、潜在的脅威があっても取り込んで溶かしていくという発想を表している。ただ、クリントン政権の対北朝鮮戦略であるエンゲージメントも、ブッシュ政権のレジームチェンジも、いずれもうまくいかなかった。そこでオバマ政権では「戦略的忍耐」という道を模索した。これは戦略的に無視をすることで孤立化させプレッシャーを加えるというものだが、それもうまくいかなかった。

米ソの冷戦においては、それこそ人類を何十回も滅ぼすことができるほどの軍事力で互いに対峙した。周辺国での戦争は起きたものの、米ソ間では銃弾の一発も撃ち込むことなく冷戦は終わった。国際紛争の歴史からすると奇跡的であり例外的なことである。これほどの重武装での対立を平和的に解決したのである。冷戦が終わったということで、冷戦期の歴史は研究の材料となっているが、なぜ米ソの間で対立を終結できたのかという点で、軍事オプションを使わずに平和的に解決した非常に重要な事例と言える。

東西冷戦の舞台となったヨーロッパで起きたこと

東西が対立した冷戦期においてヨーロッパで何が起きたのか。冷戦の平和的な終結に貢献したとして注目されているのが、1975年からスタートした「ヘルシンキプロセス」(CSCE=全欧安全保障協力会議)である。これはヨーロッパ諸国とソ連・アメリカ・カナダを含む35カ国の首脳がフィンランドの首都ヘルシンキに一同に会し、ヘルシンキ議定書という合意を結んだ。この東西ヨーロッパの共存の枠組みによって、それ以降は東欧諸国が徐々に変わり、市民社会が出てきて、1989年の東欧革命の際にも大きな混乱なく東欧諸国が民主化し、ヨーロッパが一つになる土台を築くことができた。

このヘルシンキプロセスにおいて重要な点は、安全保障の定義を変えたことである。これまでの安全保障の目的は「自分を守りながら戦争に勝つ」というものだった。しかし、核兵器の時代には「勝者も敗者もなくなる」という点を考慮し、「戦争を回避する」という道をヨーロッパは選んだ。戦争の回避は自分だけで一方的にはできず、相手の協力が必要になる。つまり相手と共通の目的になる。これが「共通の安全保障」(コモン・セキュリティ)である。加えて、手の内を隠すのではなく透明性を高めることで相手に安心感を与える「相互安心」「信頼醸成措置」という概念も生まれた。

ヘルシンキプロセスでは、3つの柱を建てた。1つ目は、相手の体制の相互認定、2つ目は経済協力、3つ目は人的交流と人権問題の解決である。1と2は東側が西側に求めたもので、3は西側が東側に求めたものである。当時、西側の保守派は「共産主義国家を認めるのか」と批判したが、結果として、経済交流や人的交流によって東側の共産主義体制が急速に変化し、冷戦を終結しヨーロッパを1つにすることに貢献した。

このように、核時代におけるヨーロッパでは、安全保障の概念が劇的に変わり、平和共存を導き出し、結果として東側の共産主義統治を(民主的な方向に)変えていった。

北がなぜ核・ミサイルに執着するのか

米韓の圧倒的な軍事力に対抗するために、抑止力としての核が絶対に必要だと北朝鮮は考えている。北の立場からすると合理性がある(それが正しいという意味ではない)と論理的には考えられる。今の時代、通常戦力を用意するのはものすごく費用が高い(例えば戦闘機は1機1億ドル程度もする)。一方、核の場合は、最小限の投資で巨大な破壊力が手に入れられる。

金正恩体制では、「核武力建設」と「経済建設」を同時に推進する「並進路線」を採っている。金正恩氏は、「核を開発し保有したおかげで、もはや軍事費を増やさずに安全を確保できる。なので今は経済建設に資源を全力で投入できる」というロジックで説明している。このロジックは1950年代にアイゼンハワー大統領が採ったニュールック政策という先例がある。トルーマン大統領の時代に3倍に膨れ上がった軍事費をアイゼンハワーは戦前の水準に戻したが、その際に核戦力を標準装備とした。加えて、通常戦力は同盟国に依頼するという政策を採った。日本に武装を依頼したのもそういう文脈である。ニュールック政策に似た政策はソ連のフルシチョフも採っており、スターリン時代に膨れ上がった軍事費を減らし軽工業などに力を入れた。一方で、これらの政策は米ソともに、軍産複合体からは評判が悪かった。余談になるが、軍人出身の大統領であるアイゼンハワーは、離任演説の中で「軍産複合体」の増長に警鐘を鳴らした。軍事費を削減したことで、軍産複合体に不満が渦巻き、その反動でケネディおよびジョンソン、そしてソ連のブレジネフによる軍拡路線へとつながったと言える。

金正恩氏のやっていることは、スターリンの後のフルシチョフと似ているところがある。父親の代から先軍政治という軍事優先政策が続いてきたが、一方では核開発を進めつつも、他方では並進路線というロジックを使い、軍需工場だけでなく、靴工場や自動車工場、化粧品工場や食品工場にも金正恩氏は訪れている。これは、今や民間生活を重視せざるをえない状況となり、工業の転換を図っていると言える。

なので、基本的には、「安上がりな軍事力の手段として、核は絶対に必要だ」という状況が北朝鮮にはある。

対米圧迫の外交手段としての核開発

並進路線を採る金正恩氏にとって、核開発は絶対に放棄できないものであり、これが核問題解決のためには厄介な点である。他方、北朝鮮にとって核開発は、交渉可能であり放棄させることが可能な部分であるとも言える。それは北朝鮮が核を持つということは、対米圧迫の外交手段という側面があるからである。北朝鮮にとって、経済を再建するには、国際関係の改善が必要となる。彼らの論法では、国際関係の改善イコール対米関係の改善である。しかし、北にとっての問題はアメリカを惹きつける手段がないことである。逆の言い方では、アメリカにとって北は魅力がない、つまりアメリカがわざわざ北に寄っていって関係を改善しようという動機が生まれてこないということ。もし北朝鮮に中国市場のように大きなマーケットがある、あるいはリビアのように石油が出たりすれば別だが、北にはそれらがない。放っておくとアメリカは寄ってこない。なので脅すしかない、あるいはトラブルメイキングするしかないのである。単純化して言えば、そういうロジックである。

現実に、北朝鮮の核開発は、初期段階から純粋な軍事的手段としてだけではなく、外交カードとして使いながら同時進行してきたことに特徴がある。通常、核開発は最高機密として黙々と行われるものであり、(進捗状況を)宣言や宣伝をしながら行うものではない。アメリカもソ連も、中国やインド、パキスタンもそうである。しかし、北朝鮮は事前に核実験を予告したり、アメリカの衛星に覗かれていることを承知で、慌ただしく実験準備をしたり、ミサイル発射のタイミングを記念日に合わせたりする。ミサイル発射後は国内外に向けて大々的に発表する。つまり、北朝鮮にとっての核開発は、外交手段であり、最大限に宣伝しながらやっているのである。もし、北に本当に力があって余裕があれば、このような宣伝をする必要はないし、黙々とやっていけばいいのであって、宣伝しなけれならないというのは、アメリカとの関係を打開しなければ、経済も含めて国が成り立たないという弱点があるからである。そういった弱点をうまく突いていけば、すぐに核放棄をさせることは簡単ではないかもしれないものの、スローダウンさせることは可能であると考えられる。

そういう点から言えば、言葉は適切ではないかもしれないが、北が核開発をする目的は、この面に限って言うと「建設的」である。アメリカと関係改善をするという「建設的」な目的のために「破壊的」な手段を使わざるを得ないのが北のジレンマである。このジレンマがあるため、アメリカを脅して米朝合意を結んでも、事はなかなか進まない。それは、北が合意内容を時折守らなかったという面もあるが、北と合意を結ぶと国内で非難を受けるというのも、その原因である。

金正恩体制の特徴

金正恩氏は1984年生まれの若い指導者である。準備もなく指導者となったので、自分の業績として核やミサイルを最大限に見せたいと考え、そこにこだわることになる。

金正日体制では、核実験は外交手段という側面が大きかった。そのため、核実験のペースは概ね3年に1度ぐらいで、1度実験をした後は外交で押したり引いたり、インターバルを置いたりして、ゆっくりしたペースだった。また、長距離ミサイルの発射実験をした時も、ミサイルとは言わずにロケット、あるいは人工衛星の打ち上げと言ったりするなど、曖昧な形をとった。また、非核化をすると言いつつ核開発をするといった具合に、「戦略的曖昧さ」を持っていた。しかし、金正恩体制になってからは曖昧さをなくし、核保有を明言。憲法にも核保有を明記し、核放棄は絶対にしないとの姿勢を明確化している。

北朝鮮にとっての2つの「成功事例」

北朝鮮核問題に対してカギを握るのは、否応なしにアメリカの対応である。アメリカがどう対応するかによって状況は大きく変わるし、正直言って、韓国や日本ができることは非常に限られている。これまでもアメリカは試行錯誤を繰り返してきたが、それにはパターンがある。まず強硬策を最初に採る。その後、手のひらを返したように手を打つというのが、少なくとも2~3回繰り返された。クリントンは、北朝鮮がNPTやIAEAを脱退し核開発を推し進めた際に、軍事攻撃を考えた。当時は北朝鮮の核施設もミサイルもまだ多くない頃であり、ヨンビョン(寧辺)の核施設を攻撃して取り除くことを検討した。しかし核施設のピンポイント攻撃だけでは済まず全面戦争に陥り、開戦から半年で韓国で100万人、米軍にも5~10万人の死者が出るとの試算により、クリントンは核施設への攻撃を見送った。その後、金日成主席の死去によって、アメリカは北朝鮮の体制は長くもたないだろうという判断のもと、北の言い分(エネルギー支援や米朝国交回復交渉に同意すれば核査察を認める)をほとんど受け入れて譲歩した形での枠組み合意を94年に結び、状況を安定化させようとした。

続いて、ブッシュ政権は枠組み合意を2002年に事実上破棄。北朝鮮は2003年から核開発を再開し、2006年に核実験を行った。ブッシュ政権は、力でイラクを叩いた後は、北朝鮮を力で叩くレジームチェンジをすると宣言し強気で当たったけれども、イラク戦争で足を取られたという面もあって、北朝鮮への軍事攻撃は行わなかった。金融制裁など様々な圧迫手段を講じたものの、2006年に核実験によって、直後からホワイトハウスは「交渉するしかない」という姿勢にさっと変わった。翌年から米朝交渉が再開され、2008年に一部の各施設の破壊と引き換えにテロ支援国家指定の解除を行った。つまり、制裁に耐えながらも強く出ればアメリカはいずれ折れてくるという、2回の「成功事例」があるわけである。

オバマ政権の北朝鮮政策は失敗だったと言わざるを得ない

対するに、オバマはこの「失敗事例」を繰り返したくなかったので、最初こそ対話を試みたものの、うまくいかないと見るや北を無視する戦略に転換した。以前ならば、IAEAの査察団が入れば、開発がスローダウンした。もちろん、秘密裏に開発しているものもあるかもしれないが、少なくとも査察団が入れば寧辺にある大きな施設はチェックできるし、開発をスローダウンさせられる。しかし、オバマ政権は北朝鮮を無視する戦略を採ったことで8年間にわたって野放し状態としたことで、その間に北の核・ミサイル技術は格段に進歩することとなった。オバマの政策は正直言って失敗だったと言わざるを得ない。

オバマ政権は末期になってから北への軍事攻撃も検討(昨年)したが、実行は困難と判断した。そして、中国をも巻き込んだ全方位的かつ強力な圧力を加え始めた。現在トランプ政権が行っている北朝鮮政策においては時折軍事行動の話もするものの、実態においてはそのほとんどがオバマ政権末期の政策と変わらないものと言える。

オバマ政権は末期になってから北への軍事攻撃も検討(昨年)したが、困難との判断。それにより、中国をも巻き込んだ全方位的かつ強力な圧力を加え始めた。現在トランプ政権がやっている北朝鮮政策において、時折軍事行動の話もするものの、実態においてはそのほとんどがオバマ政権末期の政策と変わらないものと言える。

米国が対北政策で試行錯誤しても非核化がうまくいかない要因

なぜ、アメリカが対北政策で試行錯誤を繰り返しても非核化がうまく実現できないのか。もちろん北が核保有にこだわるということが背景にあるのだが、うまくいかない理由として私は3つあるいは4つの要因があると考えている。

1つは、関係国の思惑が違うため、歩調がなかなか合わないことが大前提として存在する。例えばアメリカは北を圧迫したくても、中国やロシアは必ずしもそうではない。

もう1つは、アメリカの側から見ても圧力には限界がある。効果のある圧力の最たるものは軍事行動であるが、軍事行動の脅しは可能性があって初めて圧力は生きてくる。しかし、北に隣接する韓国では、ソウルが「人質」になっているため、アメリカは軍事オプションが基本的に使いづらいという状況である。ある統計では、韓国では休戦ラインから50km圏内に韓国の人口のほぼ半分に相当する2200万人が住んでいる。しかも韓国第1の都市であるソウルと第2の都市であるインチョン(仁川)がそこに入っている。つまり有事の時には戦場になるところに韓国の人口の半分が住み、しかも核ミサイルを使わずとも通常の野戦砲の射程距離である。こういうところでは戦争はできない。私が小さかった頃は韓国は貧しく、戦争がまた起きるかもしれないとか、反共教育を受けたことにより、北が攻めてくると受けて立つしかないと思っていた。しかし、今は国が豊かになると、それは困るということになる。戦争は韓国の破滅を意味するし、戦争までいかなくても、軍事的緊張が高まるだけでも韓国経済は影響を受け株価が落ちたりする。正直、脆弱な状況にあるので、韓国の立場からすると、ますます軍事力の行使はあり得ない選択になっている。アメリカの立場から見ても、同盟国に被害が出ないような遠いところから遠距離射撃するような戦争とは様相が異なるので、軍事オプションの行使はそう簡単ではないということだろうと思う。

これらのことから、圧力には基本的に限界があり、裏を返せば、北は足元を見ている状況であり、戦争になるなら受けて立つという姿勢により意図的に緊張を高めているわけである。さらなる圧力に対して延坪島砲撃事件のときのように、意図的に砲撃して緊張を高める可能性もある。そうなると、韓国側は折れるしかないわけである。

北朝鮮の「崩壊論」に関して

北朝鮮の体制について、「北は早晩崩壊するだろう」「ああいう体制が長く続くはずがない」という「崩壊論」が存在する。その前提で、問題を先送りしてきたわけである。問題が緊急であれば、戦争か妥協かを選ばなければならない。けれども、戦争も難しければ妥協も嫌だということで、とりあえず北を圧迫しつつ先送りし、北とは一切話をするべきではないということになると、それは私から言わせれば解決ではなく問題の先送りにすぎない。圧力を掛け続けることで、体制は早晩崩れるかもしれないが、「早」なのか「晩」なのかは分からない。金日成主席が死去した後、北朝鮮はあまりもたないと思った。しかし実際はずっともった。90年代に未曽有の飢饉もあったが、体制は生き延びた。金正日氏が死去した後は、20代そこそこの人が統治できるはずがないと思ったけれども、また5年6年と続いている。直感的にはなかなかうまくいかないように見える体制が続いており、これが謎である。 

このことから言えば、来週・来月・来年どうなっているか分からないというのには備えつつも、少なくとも崩壊するという前提と希望に基づいた政策は採るべきではないと考える。つまり、続くかもしれないという前提で政策を執りつつ、崩壊や混乱にも備えるような政策を採るべきである。

現存する最長の共産主義国家

北朝鮮は、世界で現存する一番長生きしている共産主義国家であり、1948年の建国から来年で70周年になる。1949年建国の中国より1年早いわけである。また、ソビエト連邦は1917年から1991年まで74年続いたので、北朝鮮があと5年も続けばソ連を超えるような最長記録となる。不思議な体制である。いったいこれが何なのかについては膨大なテーマであるが、弱くてすぐに崩れるかもしれないけれども、今いろいろな指標を見ているともち直しているところがあり、かなりの柔軟性で、しなやかさとしたたかさを体制が持っている。このことを織り込んだ上でどうするかというように考えるべきである。

外交的解決の展望

軍事的な方法による解決が採りづらい以上、アメリカは譲歩せざるを得ない状況と考えられる。そこでカギとなってくるのが、北朝鮮の核の放棄・非核化についてである。これを基本的に北は否定している。アメリカの中でも、現状を考えると、フリーズ(凍結)から入るしかないというのが専門家やメディアの間での多数意見である。アメリカの利益という観点からすると、極端に言えばとりあえずICBMの完成を止めればいいという考え方である。安全保障の専門家はモラトリアム(凍結)で手を打ってもいいのではないかとの立場であり、これは非核化は曖昧にしてもいいのではないかと意味にも聞こえる。

但し、フリーズは(問題解決の)入り口としては意味があるけれども、最終的に非核化が何らかな形で明確にならないと、韓国や日本のコントロールが難しくなる。つまり核の放棄ではなく、極端に言えばアメリカにICBMが届かない形で米朝が手を打ち、それが最終的な核の放棄にもつながらないのであれば、韓国や日本は核の自主開発をする、つまりアメリカによる核拡大抑止が無力化する可能性がある。そうなると、東アジアにおけるアメリカの安全保障同盟は組み替えないといけなくなる。

アメリカ国内では、すでに存在しているイランとの核合意ですら破棄しようということになっている。これはトランプ大統領の選挙公約でもある。イランに対しては潜在的核保有能力について認めただけでもアメリカ国内では評判が悪いのに、すでに保有している北朝鮮の核兵器を認めてディール(取引)をするというのは、恐らく政治的にはほぼ不可能だと思う。

非核化に向けた枠組み

私はロシアや中国の仲裁案が、論理的には非常に現実的だと思っている。中国の仲裁案は2段階で、モラトリアム、つまり米韓軍事演習による圧迫をやめ、北は核ミサイル実験をやめる。その後に平和協定と非核化をバーターで行うというものである。一方、ロシアの仲裁案は3段階で、モラトリアムについては中国案と同じだけれども、その次には平和協定と朝鮮戦争の終結が2段階目としてあり、その後に3段階目として北東アジア全体のミサイルを含めた安全保障協議の中で非核化を進めるという内容である。いずれにせよ、非核化に向けた枠組みがあってこそ、入り口(フリーズ)にも意味があると考える。

日本が行うべき対応

日本には北朝鮮の核ミサイル問題のみならず、拉致問題が存在する。戦争をすると拉致問題も解決しないし、拉致被害者はもっと危なくなるかもしれない。日本は圧力を言いつつも、やはり問題の解決を考えないといけない。攻撃して帰してもらえるというのは、映画であれば救出するというのがあるかもしれないが、被害者がどこにいるかも分からないし、現実的ではない。最終的に拉致被害者を日本に帰してもらうためには、やはり交渉をする必要がある。

安倍首相は非常に大事なポジションにいると思う。米朝が戦争になると日本は巻き込まれる。トランプ大統領と連絡を取り、戦争を避けながら、圧力を加えながらも、いかに問題を解決するのかが日本の国益である。その辺りのコントロールをうまくできるのであれば、安倍首相は素晴らしい政治家だと思う。もう一つは、ロシアとの関係である。安倍首相はプーチン大統領との関係強化を模索している。朝鮮半島情勢において、ロシアは非常に重要なプレーヤーになりつつある。主に米中がやり取りしているが、最近はロシアが外交的に活発である。ただ、米露はいろいろなこと(※編注:いわゆるロシアゲート疑惑のことを指すと思われます)があってうまくいっていないが、中露は緊密に相談し合っている。仲裁案において、日露の首脳が真剣にコミュニケーションを取ろうと思えば、安倍首相はいろいろなことができる立場にいる。

拉致問題の解決に関して、アメリカが北にプレッシャーをかけている今は、言い方は変かもしれないが、解決に有利な時期と言える。2002年と同じである。当時はブッシュが強硬策を採ったがゆえに、小泉首相はアメリカの圧力を背にしつつ、紛争は避けながらも北を説得できた。北もアメリカの様子が気になるので日本に接近せざるを得ないという状況で、それを利用して拉致問題に大きな進展を導き出した。私は安倍政権が、今の核問題を拉致問題解決に懸命に使うことに期待したい。

◆開催概要

非核の政府を求める兵庫の会市民学習会
「北朝鮮の核・ミサイル問題 非軍事的解決の道を探る」


日  時 12月9日(土)14:00~16:30
会  場 兵庫県保険医協会6階会議室(定員70人)
講  師 李 鍾元 さん(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)   
主 催 非核の政府を求める兵庫の会(問合先 電話078-393-1833 shin-ok@doc-net.or.jp)   
協 賛 神戸YWCAピース・ブリッジ、市民社会フォーラム



核・ミサイル開発を進める北朝鮮に対して、トランプ米政権は「全ての選択肢がテーブルの上にある」として軍事力行使も排除していません。

安倍晋三首相も「対話に意味はない」と述べ、トランプ大統領の強硬姿勢を歓迎する姿勢すら表明しています。

仮に朝鮮半島で戦争が起きれば、破滅的な結果をもたらすことが専門家からも警告されています。

さらに、北朝鮮と米国の軍事衝突が発生した場合、日本は米国との「相互防衛」の名目で、安保法制に基づいて集団的自衛権を行使し、自衛隊が軍事的な作戦に参加する恐れもあります。この危機を回避して、朝鮮半島の非核化、平和協定の締結を目標とした 解決の枠組みをつくるべきと提唱している国際政治学者の李鍾元教授に、講演いただきます。

李 鍾元(リー・ジョンウォン、LEE Jong Won )さん

1982年来日。国際基督教大学教養学部卒、東京大学法学政治学研究科政治学専攻修士課程修了、法学博士。東京大学助手、東北大学助教授、立教大学法学部教授を経て現職。

米国プリンストン大学客員研究員(1998~2000)。

 著書に、『戦後日韓関係史』(共著、有斐閣、2017)、『東アジア 和解への道』(共編著、岩波書店、2016)、その他多数。

『東アジア冷戦と韓米日関係』(東京大学出版会、1996)で第13回大平正芳記念賞、アメリカ学会清水博賞、米国歴史家協議会外国語著作賞を受賞。