イラク支援ボランティアに尽力する高遠菜穗子さんが、2017年7月13~16日に京都・神戸・大阪を回り、過去から現在に至るイラク情勢について詳しく語りました。また、ISのような国際テロ組織がなぜ生まれるに至ったのか、そして平和国家として評価を受けてきた日本の立ち位置について、長年にわたり支援活動に携わってきた経験に基づく見解を述べました。
※9/11に高遠さんが再び関西にいらっしゃいます。ぜひ報告会にお越しください。【告知】命に国境はない 高遠菜穂子さんイラク最新報告会@宝塚(2017/09/11月)
目次
民間人遺族が反米武装勢力に
私が海外で人道支援ボランティアを始めたのは2000年なので今年で17年になる。イラク戦争は2003年に開戦。以後、イラク人道支援を14年間おこなってきた。その間にイラクが良くなったか? むしろ最悪の状況となっている。数年前、地獄は過ぎたかと思った。でも地獄の先にさらに地獄があった。それが2014年からの3年間だった。
イラク戦争後、米軍の占領が2011年まで続いた。そして、イラクはテロの最大被害国のひとつとなった。イラク人の友人は、よく、「イスラム教徒やイラク人は怖い」と言われる。「被害者なのに加害者扱いされる」と言っている。
米軍がテロ掃討作戦をおこなえばおこなうほど、民間人の犠牲が増え、遺族の中から反米武装勢力が生まれる。そこに、国際テロ組織アルカイダが加担した。サダムフセインの時代は独裁体制で、言論の自由や表現の自由はなかったものの、宗教については自由で、民族や宗派を超えた婚姻の自由もあった。ところが、アルカイダは原理主義。そして、アルカイダはテロによって民間人を多数殺傷した。その結果、米軍・地元の抵抗勢力・国際テロ組織の三つ巴の戦いになった。今も基本的にはこのような感じのままである。
ファルージャ総攻撃
2004年4月に、アメリカの民間傭兵会社(PMC=プライベート・ミリタリー・カンパニー)の社員4人が殺害されたことへの報復として、米軍がファルージャに総攻撃を加え、民間人が731名も死亡した。これにより反米感情が悪化。現在もイラク人はファルージャ攻撃を忘れていない。当時、日本では民間企業の社員と報じられたが、実際は傭兵会社の社員。彼らは戦闘や警備もするし、拷問マニュアルを使った尋問もする。米軍はキューバのグアンタナモ刑務所で使われていた拷問マニュアルを、イラクのアブグレイブ刑務所において、ラムズフェルド国防長官の指示の下で公式に使用した。
米軍は7か月後の同年11月に、再びファルージャに総攻撃をかけた。これは、4月の総攻撃で大量の民間人犠牲者を出しながら、軍事的に制圧できなかったためである。総攻撃では「動くものは全て撃て」という方針の下、援助関係者の救急車やボートさえも狙撃した。民間人の死者が6000名に及ぶ、米軍による事実上の無差別虐殺である。これをおこなった主力部隊が、キャンプシュワブの在日米軍である。
一方で、イラクを攻撃した米軍兵士にPTSDが多発。2014年の数字ではイラク退役軍人が1日に22人が自殺している。
(参考記事http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-31/2014033107_01_1.html)
米軍刑務所がなければISは存在していない
米軍はイラクで白リン弾を使用したほか、拷問や虐待をおこない、イラク人に大きなトラウマを残した。例えば、「男狩り」と呼ばれる一斉捜索によって、アメリカ軍が男性を一斉に連行。厳しい尋問や拷問をおこなった。アブグレイブ刑務所やブーカ刑務所での拷問や虐待はすさまじかった。ISの幹部は、「イラクの米軍刑務所がなければ、ISは存在していない」と語っている。ISの幹部の半分以上はイラク人。彼らの多くは2004~2007年ごろに刑務所に入っている。彼らは刑務所の中で、出所後のイスラム国マスタープランのようなものを仲間内で練っていた。
イラク政府によるスンニ派狩り
2005年にイラク新政府が樹立されたが、それ以降、イラク内務省が特定の宗派や部族を狙った集団殺害をおこなう。これがいわゆる「スンニ派狩り」である。これに反発して、イラク政府へのスンニ派狩りへの大規模な抗議デモ(金曜デモ)が2012年からおこなわれるようになり、デモを鎮圧しようとするイラク政府軍による攻撃で死者が続出した。
2013年1月に起きたスンニ派狩りでは、ファルージャ総合病院に運び込まれ亡くなった民間人の遺族が、「アメリカのもたらしたデモクラシーって何なんだ!これが我々にアメリカがくれたデモクラシーってやつなのか!」と怒っていた。くしくも10年前、米軍によって殺された遺族が「デモクラシーって何なんだ!」と叫んでいた。10年後の2013年はイラク軍が国民を殺した。遺族が叫ぶ「デモクラシーって何なんだ!」という言葉は同じ。私は10年間、一生懸命やってきたつもりだったが、その言葉を聞いて力が抜け、涙が出た。
戦争のモラルの低下
戦争といえども、民間人を撃ってはいけないなどの交戦規定があるし、捕虜の扱いに関しても、拷問を加えたり処刑したりしてはいけないことになっている。ただ、「極悪非道のISを叩くためには、民間人の巻き添え被害(コラテラルダメージ)が出ても仕方ない」という空気が、軍のみならず地球全体に蔓延していないだろうか。そして、このことが結果的に、民間人の犠牲者を増やしてはないだろうか。
ISの捕虜への拷問や処刑をおこなったイラク軍部隊の司令官は、「彼ら(ISの捕虜)は人間じゃない。彼はモンスターだ。これは殺人だと思っていないし、俺はすでにスターだ。我々は対テロのために働くスターだ」と開き直る。私は、この「モンスターだから仕方ない」という雰囲気は、危いと思う。むしろ、「俺はスターだ」と言っている司令官がモンスターに見えないか。つまり私たちはもう一つのモンスターを作っているということ。これは、「ヒトラーを生みだした空気」と似ていないだろうか。
難民・食糧不足が深刻
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が出した「グローバル・トレンズ2016」という資料では、2016年に家を追われた人は、世界中で6560万人と過去最多を記録(前年よりも30万人増加)した。内訳は、難民(=国外へ逃れた人)は2250万人、国内避難民は4030万人、庇護申請者280万人。世界の人口の約113人に1人が難民か国内避難民、もしくは庇護申請者のいずれかということになる。
戦闘が続く南スーダン。自衛隊の撤退議論が盛んにおこなわれたが、日報に関する議論に集中し、悲しいほどに人道的な視点が抜け落ちていた。南スーダンの話題が出なくなったあとも、依然として食糧不足が深刻で、人道的に危機的状況が続いている。
平和国家という日本のイメージは今や過去形に
イラク人に言われた。「戦争放棄と言いながら、戦争をサポートするのはいいのか?」と。「軍(自衛隊)に来てくれと頼んでないのに、アメリカ軍の要請でなぜ送って来たのか?」と。「人道支援と言いながら、私たちを殺す側に回るのか?」と。自衛隊のイラク派遣は、我々日本人が思っている以上に、現地の中東の人々から見ると数段強いインパクトがあった。また、日本の「武器輸出三原則の緩和」が現地では経済ニュースではなくトップニュースになった。
UAEでおこなった講演では、質疑応答で「日本は平和主義と言いながら(海外で戦争をする)矛盾した国」というイメージを持たれており、日本の平和国家のイメージは過去形になっているのだと実感した。時代は変わったと思った。
もう一度「日本の平和ブランド」を取り戻すべき
私は、もう一度「日本の平和ブランド」を取り戻すべきだと思うし、「戦争しない国」から「戦争を止(と)める国」に進化すべきだと思っている。そして、「顔の見える人道支援先進国」を本気で目指す必要があると思う。そのためには、日本の「情報鎖国状態」を克服するべく、「海外ニュースのチェック」が必要だし、「フェイクニュースへの注意」も必要。特に、ネットでの情報収集は、「マスコミが報じない」と言いつつ、妄想やフェイクが入っているのが出回っているので注意を要する。
実際に取材して証言を取り、裏も取っている署名記事を新聞で読み比べるのがよいと思う。そして、お気に入りのメディアはつくらないほうがよいと思う。例えば、赤旗しか見ていない、産経しか読んでいない、これはダメだなと思う。メディアリテラシーの確保には、自分自身もとても苦労しており、いろいろな情報を比較するしかないと思っている。
イラクに駐在する岩井文男大使。岩井大使は、80年代から30年来のイラクとの付き合いがあり、方言もペラペラ。イラクのみならず中東で大人気を集めており、日本のイメージアップにもなっている。
(岩井大使のフェイスブック動画https://www.facebook.com/465317093606180/videos/889704721167413/には、おびただしい数の「いいね」と好意的なコメントがついています)
(参考記事https://www.buzzfeed.com/jp/eimiyamamitsu/fumio-iwai?utm_term=.xfzGzlj8kk#.rpLJawY422)
国際援助の現場を誰が担うのか。今は、「危ないところは自衛隊に任せておけばいい」と言われる。現地の人が欲するものと供給する側の考えにはミスマッチが起こることがある。軍隊ではなく民間でないとできないこともある。今、小学生の憧れの職業にYouTuberが入っているが、将来、憧れの職業に「国際支援活動の仕事」が入ってきたらいいなと思っている。
講演ツアー日程
日時 7月13日(木)18:30~20:30(市民社会フォーラム第201回学習会)
会場 ひと・まち交流館 京都 第4会議室
日時 7月14日(金)18:30~20:30(非核の政府を求める兵庫の会 市民学習会)
会場 こうべまちづくり会館ホール
主催 非核の政府を求める兵庫の会
日時 7月15日(土)14:00~16:00
会場 南御堂難波別院同朋会館
主催 大阪宗教者9条ネットワーク
日時 7月16日(日)13:00~15:00(市民社会フォーラム第202回学習会)
会場 北新地サンボアバー
高遠菜穂子(たかとお・なほこ)さん
イラク支援ボランティア。1970年、北海道生まれ。大学卒業後、会社員を経て地元で飲食店経営に携わる。2000年インドの「マザーテレサの家」、2001年からタイ、カンボジアのエイズホスピスでボランティア活動に専念。2003年5月からイラクでの活動開始。2004年4月にイラク・ファルージャで「自衛隊の撤退」を要求する現地武装勢力に拘束された。解放後、日本国内で「自己責任」バッシングを受ける。現在もイラク人道・医療支援活動を継続中。「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」呼びかけ人。九条の会世話人。著書に『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』(講談社)『破壊と希望のイラク』(金曜日)など、共編訳に『ハロー、僕は生きてるよ。ーイラク最激戦地からログイ
ンー』(大月書店)。