【講演録】映画「ファルージャ」上映後の高遠菜穂子さんによるトーク(5/4@神戸)

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イラクで人道支援活動を続ける高遠菜穂子さんによる講演。映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして」の上映後のトークイベントとして開かれたもので、会場には160人を超す聴講者が訪れ満員となりました。講演で高遠さんは、イラク戦争終結後も混乱が収まるどころか、より一層混迷の度を深めるイラク情勢についての現況を詳しく語りました。また、IS(イスラム国)の支配下にあるファルージャやモスルの混乱を打開するためには、イラク警察や政府軍による「スンニ派狩り」を止めさせる必要があることなどを力説。あわせて、スンニ派狩りやISによる恐怖支配に恐れおののいた住民の中に、「米軍待望論」まで出ていることも紹介しました。

一方、このイラク情勢の混迷を世界各国のメディアが積極的に報道しているのと対照的に、日本での報道がほとんどなされていないことを指摘。「日本の報道は世界とのつながりが絶たれている鎖国状態にある」と批判しました。加えて、日本でも問題が表面化しているヘイトスピーチがイラクでも激化していることや、イラクでこれまで育まれてきた共存型の世俗社会が、過激派勢力の分断工作によって疑心暗鬼が渦巻く排斥社会へと変化していった過程も解説。排斥感情が激しい憎悪を生み、やがて残虐行為へとつながっていった事例を挙げ、「自分たちも同じようになる可能性がある」と意識する必要性を説きました。

 

◎映画(予告編)

◎高遠菜穂子さんトーク

◎講演録(テキスト起こし) 

※言い回しなどを適宜要約しています。

見出し目次

◆日本の報道は国際ニュースが異常なほど少ない

この映画の撮影がされたのが2013年です。そのあとイラクはどうなっているのか。時々イラクのニュースが出るものの、日本では基本的に結果しか報道されず、大きめの出来事が起きたときにいきなり報道されるので、何がどうなってこうなったのかということが、イマイチよく分からないと思います。それを十数年間積み重ねてきた結果、全く遠い世界の話になってしまっています。これはイラク情勢に限ったことではないですが、日本の報道は、国際ニュースが異常なほど少ないです。世界で何が起きているのかということは、日本がそれと全く関係なく生きていることはありえないのに、それを実感することができないという状況です。

◆私の中でのイラクの復興元年は2013年

2013年におこなわれた撮影では、日本人医師に来ていただいたりとか、いろいろなことができて、撮影クルーが帰ったあとも、私はファルージャやラマディに戻って医療ミッションなどをおこないました。2013年はイラク戦争開戦から10年。イラク戦争の開戦は2003年。私は、開戦から10年が経って、ファルージャでようやく復興が始まるという感じを持つことができました。私の中での復興元年は2013年です。2013年10~11月にかけてイラクに戻り、森岡先生(森岡大地医師・形成外科医)にも来ていただき、森岡先生は集中的にミッションをおこなって日本に戻られましたが、私はイラクに残って調査などをしていました。

2013年の11月下旬まで、ファルージャやラマディの病院に泊まり込んで調査などをしました。ファルージャでは連日先生方が、「なぜこんなに先天性欠損症を持った子供たちが産まれるんだろう」と何年も言われ続けてきました。ファルージャでの調査を終えたので、今度はラマディでも調査をしたいと考えました。私は医療者ではないけれども、私が毎朝確認して記録しました。それは、治安上の理由でイラクに入って来られない専門家や科学者に見てもらう、あるいはある程度治安がよくなったときに彼らに来てもらう、そのためのきっかけづくりをしたいと、ラマディの先生たちと話をしていたんです。

◆2013年12月28日に事態は急変

そして、2014年になって年が明けたら、皆さんとお会いしましょうと。予定では4月頃にまた森岡先生にも来ていただくと言って、私は11月下旬に2013年のイラク国内でのミッションを終えたのですが、その後に事態が急変します。2013年12月28日から、デモ隊の鎮圧のためにバクダッドからイラク政府軍がやってきました。しかも、地上軍だけでなくイラク空軍のヘリコプターによる空爆が始まったことで、事態が一気に悪化してしまいました。年末から年始にかけて続いたこの空爆によって、私の知人はみんな家を追われ、2016年の現在に至るまで避難民となっています。

◆海外メディアはISに占拠されたと報道

そのとき(2014年1月)、海外メディアは、かつて米軍に猛攻撃を受けたファルージャがイスラム国(ISIS)に占拠されたと大きく報じました。人々はイラク北部のクルド人自治区に避難しました。クルド人自治区は、ISの支配下に置かれているファルージャやラマディやモスル、特にモスルは50kmぐらいしか離れていないのですが、治安は天国と地獄と言ってもいいぐらい差があります。クルド人自治区には、短期間で何十万人もの人々が避難してきました。2014年2月頃の時点でファルージャとラマディだけで、40万人と国連はカウントしていました。

避難民100人ぐらいに時間をかけて話を聞いてみました。彼らは「ヘリコプターからの空爆がものすごかった」と話しました。その頃はまだISISとかダーイシュとは誰も呼んでおらず、ジハーディスト(聖戦をする人)といった呼び方をしていました。メディアの報道ではISISによって人々が追われたことになっていますが、空爆で雨あられにされるほどジハーディスト(聖戦をする人)の数はいないというような状況でした。

◆ISとの戦いというよりも政府軍VS反政府軍との戦い

バグダッド州とアンバール州の県境ですごい戦闘が起きているというので、ISISとの戦いかと聞くと、そうではないと。イラク政府軍の鎮圧攻撃からデモを守っている自警団を政府軍による空爆が始まった直後に大きくし、名前を部族の革命軍に変えた。つまり反政府側の革命軍と政府軍との戦いであると。その戦いによって、県境の背後にあるファルージャやラマディなどの街からも多数の人々が戦闘に参加しており、街の警備が手薄になった。そこに、いったんはイラクで勢力が衰えていたものの、シリア内戦を経て再び勢力を伸ばしつつあったISISがするするっと入ってきて、がら空きの警察署にISISの旗を立てたということなのです。これがいまだに尾を引いています。

◆手当や見舞金でシンパを増やしたIS

イスラム国というと、イラクやシリアで勢力を伸ばしているといった具合に言われますけれども、背景は似て非なるもので、シリアのイスラム国の背景と、イラクのイスラム国の背景は違います。本気でイスラム国を掃討しようと思ったら、別々に対処しなければならないことなんです。結局2014年にISISはどんどん力をつけていきました。どうやって力をつけていったか。イラクの場合は、反政府デモ隊の革命軍が政府軍と戦って市中が手薄になっているときに旗を立てます。さらに、空からは、テロリストがいるためとして市中に空爆を続けます。でも、市中にいるのは何十万人単位の民間人です。空爆の巻き添えで民間人死者が多数出ました。民間人の間に未亡人や孤児が増えました。そういった人たちにISISは手当や見舞金を支給しました。そうすると、イラク軍に身内を殺された人たちにとって、そばで話を聞いてくれて見舞金までくれて、敵(かたき)を取ってくれると言ってくれるのがISISだった。ISISはそのようにしてシンパを増やし、イラク政府軍に恨みを募らせた人たちをリクルートしていったという経緯がありました。

◆サダム・フセインの世俗主義が国際テロ組織を防いできた

サダム・フセインが独裁政権をやっていたときには、アルカーイダなどの国際テロ組織が入ってこれませんでした。フセインは独裁政権下で典型的な社会主義をやっていました。憲法も法律も世俗的なもので、家族法などもありました。一方の国際テロ組織は、イスラム法を使った国づくりとか、シャリーアというイスラム法を使った規律などを主張します。フセインと同じイスラム教徒でありながら、理念は水と油という状態です。社会主義のところにイスラム原理主義は合いません。しかも、社会主義の中でも宗教の自由は守られており、フセイン政権時代は政教分離が徹底されていました。なので、イスラム教のシーア派とスンニ派が結婚したり、キリスト教徒とイスラム教徒が仲良く共存し、学校や家族をつくることも問題なかったわけです。つまり、アルカーイダとフセインは相いれない状態だったわけです。ところが、フセイン政権が倒れたことで、初めてアルカーイダ系が入ってこれるようになった。

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◆米軍 VS 遺族 VS アルカーイダという敵対トライアングル

ちょっと話は遡りますが、2003年にフセイン政権が倒れて、米軍の空爆で亡くなった人たちがレジスタンスとなった、いわば遺族の会、遺族の武装勢力にアルカーイダ勢力は近づいていった。「米軍が憎いだろう。俺たちが一緒に戦ってやるよ」といった具合に。ところがアルカーイダ系の人たちは、市場やバスターミナルで自爆テロをやり、米軍による被害よりも圧倒的に多くのイラク市民が殺されてしまいます。これでますます遺族が増えてしまう。遺族はこう思います。「米軍は対テロだと言って空爆し、狙撃し市民ばかり殺す。米軍を一緒に倒そうと言っていたアルカーイダ系は、なぜイラク人ばかり殺すんだ」と。「正義だ民主主義だ、君たちを解放しに来たとか言いながら、両方とも我々を殺すのはなぜだ」という疑問にぶち当たる。そして、2003年の後半から2004年には、遺族からなる武装勢力とアルカーイダは完全に敵対化し、早くから「米軍 VS 遺族のレジスタンス VS アルカーイダ系」という敵対トライアングルの構図ができました。

◆日本は自衛隊派遣によって2004年から狙われている

それでもアルカーイダ系がイラク人遺族を中心に洗脳を進め、仲間を増やし、イラク・アルカーイダになります。そして、イラク人主体になっていきます。そのうちに、今度はイラク聖戦アルカーイダとなります。このときに日本人を殺しています。私たちの事件の半年後(2004年10月)に香田証生さんが殺されていますが、香田さんを斬首したのがイラク聖戦アルカーイダです。イラク聖戦アルカーイダは自衛隊撤退の要求を日本政府に出し、斬首してバグダッドの路上に遺体を放置しましたが、遺体にはアメリカの国旗(星条旗)にくるんで捨て置きました。つまり、日本人を人質としたけれども、日本をアメリカの一部とみなして処刑したということです。この、イラク聖戦アルカーイダが、のちのイスラム国です。なので、いまになって日本が狙われているらしいよ、ということではなく、2004年10月にすでに視野に入っていたということです。シリアやアフガニスタンで日本人がターゲットとして狙われる順位は低いと言われてきましたが、イラクにおいては2003年以降、自衛隊派遣によって武装した日本人を直接見たことにより、事情が異なります。

日本人と一緒に働いていた現地の人が殺されたり誘拐されたり脅迫を受けたりといったことも起きています。サマワに派遣された自衛隊とサマワ市民との友好の架け橋になろうとした友好協会の会長のお店が狙われて爆破されるといったことも起きています。

◆イラク聖戦アルカーイダはモスルに逃げる

イラク聖戦アルカーイダ(のちのイスラム国)は、2003年以降に名前を変え、香田さんの事件のあと2005~2006年に一気に弱体化していきます。イラク聖戦アルカーイダのやったことで、イラク人全体へのイメージが悪くなりました。遺族の会の中からも大きな反感を買いました。その際に、地元の部族たちが3か月ぐらいかけて米軍を説得しました。部族も米軍も丸腰で話し合いをした結果、米軍は街から撤退することになり、米軍は砂漠の中の基地に引っ込みます。そして、部族の人たちがアルカーイダ退治をし、これでイラク聖戦アルカーイダは一気にしぼみます。ただ、しぼんだものの根絶やしにはできず、一部は北部のモスルに逃げ切りました。そこは現在イスラム国の支配下になっています。モスルはシリア国境に近いです。結局モスルは治安が悪い状況になっています。当時、モスルの人は私にこう言いました。「ファルージャやラマディから追い出されたイラク聖戦アルカーイダがモスルに来て、モスルはイラクでいま一番治安が悪くなったよ」。

◆米軍刑務所がイラクになければISは誕生していない

イラク聖戦アルカーイダは、モスルに行って一部の人たちは暴れてドッカンドッカン(テロを)やる。一部の人たちは米軍に捕まって、米軍刑務所に入れられる。イラクにいくつか刑務所があるんですが、有名なのはアブグレイブ刑務所やブーカ刑務所です。米軍刑務所に3年ぐらい入れられていた中に、現在のイスラム国のボスと言われているアル・バグダーディがいました。イスラム国の幹部は半分以上がイラク人と言われていますが、ボスのアル・バグダーディも幹部もだいたい2004年から2007年ぐらいの間に米軍の刑務所に入れられていた人たちです。イスラム国の現役の幹部たちは、「イラクに米軍刑務所がつくられなかったら、イスラム国は誕生していない」と言っています。どういうことかというと、イラク聖戦アルカーイダの主要メンバーが捕まり、刑務所にいる数年間の間に囚人同士が仲良くなる。交流を深め、ここを出たらもっとうまくやろうぜと、イスラム国のマスタープランが練られたと。

◆IS掃討には政府軍と反政府軍との対話が必要

もうひとつ、イスラム国を本気で掃討するためには、どうしても解決しなければならない問題があると言われています。シリアで決裂しそうですが、政府軍と反政府軍との対話がおこなわれています。実はやはりイラクでも、政府軍とデモをやっていた人たちとの対話が必要です。デモの時点で、いくつもクリアな要求を出していたのに、そのときのマリキ政権はもっと誠実に向き合い耳を貸すべきだったと思います。それを国際社会は見て知っていたし、国連も後押ししなかったので泥沼にはまっていったのが、一番残念なところです。

◆IS勢力拡大の最大の原因は「スンニ派狩り」

反政府側のデモにおける政府への一番の要求は、「スンニ派狩り」をやめてくれというものです。

これは、2005年の映像です。バグダッドの人権団体が撮影した映像です。いまのイスラム国の勢力拡大につながった最大の原因です。

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当時、いったい何があったのか。イラク新政府発足のための移行政府ができました。イラク移行政府が2005年5月にできた直後、バグダッドのイスラム教スンニ派の僧侶ハサン師の家に、新しくできたイラク警察がパトカーで乗りつけてハサン師を連行しました。ハサン師は行方不明となり、3日目にバグダッドの路上で遺体が発見されます。これは、遺体をモスク(礼拝所)に運び、検視とお清めをする際の映像です。ハサン師は拷問されており、手には手錠がついたままです。喉元から下腹部まで一直線に医療縫合の跡があり、内臓が取られています。背中には電気ドリルで数か所穴が開けられているほか、頭部にも電気ドリルで2か所穴が開けられています。

この出来事が始まりで、この直後からすごかったです。2005年から2007年、ものすごい数のイスラム教スンニ派の人たちが、このようになりました。当時私も、自分のメールボックスを開けるたびに、「僕の弟です」「僕の父です」「私の息子です」「いとこです」というようなご遺体の写真や短い映像がすごくたくさん送られてきました。

私たちは「スンニ派狩り」と言ってますけど、当時からこういう迫害はやめてくれという声はあったし、葬送行進の際のバナー(横断幕)の中には、「海外メディアはどうして報じてくれないんだ」と英語で書いてあるものもありました。

◆スンニ派狩りの犯人はイラク警察

こういうことを誰がやっているかと言うと、新しくできたイラク警察だったんです。なぜこんなことをしたのか。イラク内務省がイラク治安部隊とイラク警察を管轄しており、内部大臣が指揮していました。これは陰謀説などではなく、海外メディアでは基礎情報として誰もが知っている話です。告発しようとした人、あるいは調べようとした人たちは、ことごとく殺されました。イラクはジャーナリストの死者数が、2003年から6年連続で世界ワースト1位だったんです。ほとんどがイラク人の記者やカメラマンで、特に多く殺されたのは2005年から2007年でした。

さらに、イラク戦争後に、避難民が増える第一次のピークが訪れますが、それも2005年から2007年です。私が拠点にしているヨルダンにも2005年から2007年には大量のイラク難民が入ってきました。その当時、シリアでは内戦は起きていませんでしたから、隣国の中でダントツにイラク難民を受け入れていたんです。一時期シリアには140万人以上のイラク難民がいました。

バグダッドからは、イスラム教スンニ派なまりのオマルというイラク人男性はいなくなったと言われるほど、イスラム教スンニ派の人が警察の検問所を通ると行方不明になり、殺されて遺体が発見されるということが連日続きました。オマルとかマルワンとかムルワンとか、そういったスンニ派の名前を名乗っただけで殺されてしまうため、命を守るためなら仕方がないということで、名前を変えた人がたくさんいました。

それから、出身地です。「お前どこから来たんだ?」と聞かれ、「ファルージャ」と答えただけで、身柄を拘束されたりしましたので、出身地を偽るためにフェイクIDをつくったという人たちもけっこういました。イラクは(さまざまな民族や宗派が)共存していたし、(フセイン政権は)世俗主義だったので、スンニ派とシーア派で結婚している人がとても多かったです。独裁政権時代、3~4割は異なる人種間で結婚して家族をつくっていたので、大家族が集まると、こっちはスンニ派で、こっちはシーア派で、こっちはクルド人のスンニ派で、といった共存がイラクの特徴だったんです。

◆共存型世俗社会を「疑心暗鬼」によって分断

それが、イラク戦争後に独裁政権がなくなったことによって、両派の過激派がこれまでの共存型の世俗社会の分断に入ってきました。スンニ派の場合はアルカイダ系で、いまのISに続く人たちです。それから、シーア派の場合は、政府の内務省に過激派が組み込まれてしまった。だから、警察というと、日本では警察官に良いイメージもありますが、まぁ大阪は分かりませんが(会場笑い)、イラクでは警察の中に過激派が入ってしまった。元暗殺団の人たちも新しい制服をもらって警察官になってしまっているので、この両派の過激派がイラクの共存社会の中に入って、分断がけしかけられていきました。

どのようにけしかけられたか。たとえば、スンニ派の過激派がスンニ派の一般住民に対し、「隣のご主人はシーア派だよね。最近息子が警察に入ったそうだけど、スンニ派狩りをやってる暗殺団のグループだよ」みたいなことを言う。「そんなことないよ。何十年も近所でやってきたんだから」と最初のうちは言います。

ところが、そういうことを言われているうちに、だんだん怖くなり疑心暗鬼になってくる。挨拶や会話も減り距離が出てくる。逆に、シーア派の過激派の人たちはシーア派の一般住民に対し、「お隣さん、スンニ派でしょ。息子さんがアルカーイダにつながってる可能性とかないの?」と。最初は「何十年も近所でやってるんだし、学校も同じだったし」と言っていたのが、そういうことを言われているうちに、だんだんと疑心暗鬼になって離れていく。そのうち、たとえば「スンニ派の男の子が何十人も殺されたらしい」「どこどこの旦那さんがいなくなったんだって」「どこどこで車両爆弾のテロがあった」「だれだれの息子さんが死んだんだって」といった情報が聞こえてくる。そうすると自分のところにも被害が来るのではないかと不安になる。

そこに過激派はダメ押しとして、「こちらに来なさい。我々が守っている地区に来たほうが安全ですよ」と言い、住民を引き込む。そしてどうなったか。シーア派とスンニ派の夫婦が、「スンニ派の相手とは離婚してシーア派同士で結婚しろ。さもなくば国から出ていけ」といった脅迫を受けるなどし、やむなく安全上の理由で離婚したことにする夫婦がたくさんいました。あるいは、難民としてヨルダンに流れた人もいました。それが2005年です。だから、イラク人は、最初「この宗派対立って何? どういうこと? 誰がやってるの?」と言っていました。そして10年の間に、その疑心暗鬼はイスラム国が登場した頃に、個々人の宗派感情として完全に根付いてしまいました。

◆ISへの恨みはファルージャへの恨みに

たとえば、ファルージャでアパッチヘリの空爆が始まった際、イラク軍も陸上部隊や空軍もファルージャに攻め込みます。イラク軍は兵士が必要です。そのときに主にシーア派の民兵を入れたり、シーア派の家庭の息子さんが徴兵されたり志願したりして入ってきています。ファルージャでは激戦によってイラク軍兵士も多数戦死しました。戦死した兵士の遺体は、南部のシーア派の街に帰ってきます。遺族は悲しみに暮れ、こう言います。「うちの息子はなぜ死んだんだ。もうファルージャの人々は許せない。ファルージャを殲滅して!」―。これまではイラクの人々の間では宗派対立はないと言ってきた人たちが、こうも環境が変わってしまうのかと。イラクで何十チャンネルもあるどのテレビをつけても、ISは残酷だ、ISは残酷だ、残酷だ・・・と。そのISが活躍しているのがファルージャやラマディだと。(情報源として)テレビだけを見ている軍人の家族は、息子はこんなところで、こんなふうにして殺されたのかと、ファルージャに対する恨みを持ってしまうのです。残念なことにそういう人が私の周りでもけっこういました。

◆イラクでのヘイトスピーチ横行はひどかった

私は去年ぐらいまでは、「宗派対立はありません。一部の過激派が分断を図っているのです。一番被害に遭っているのは一般の市民たち。シーア派もスンニ派も関係ありません」と言ってきましたが、時間の経過とともに、人々の間に宗派感情として根付き始めてしまいました。やはりその影響として一番大きいのはテレビです。

このように、宗派主義、私はスンニ派、私はシーア派だという感情を強く持ったとき、次にどういう感情が起きるかというと、排斥感情です。自分がスンニ派だとしたら、「スンニ派は許せない」とか、「シーア派は劣っている」とか、差別になっていく。ヘイトスピーチになっていく。イラクでのヘイトスピーチの横行ぶりはひどかったです。テレビを見ていても、ルワンダのツチ族とフツ族の虐殺の状況を彷彿とさせるような、ものすごく興奮した両派からのヘイトスピーチが垂れ流しされ、これはまずいぞという時期がありました。

◆怒りや憎悪が人間を変貌させることを忘れてはいけない

自分のアイデンティティを知ることはいいことではあるものの、究極の状況に置かれていったときには、「自分は周りより優れているんだ」みたいな選民思想につながってしまいがちなんですね。それは、私たちはどこの国も、一度や二度は経験しているようなことです。これは現代社会においても、いまの日本においても、「僕たち日本人は、そんなことはしません」とか、中にはISがやっていることを見て、「何でこんなことができるんだ。人間じゃない」とみんな言います。私も「こんな恐ろしいことを・・・」と思います。でも、それと同じかそれ以上のことをどこもやってますからね。米軍もあれと同じことをやってるし、イラク軍もやってるし、シリアだってそうです。でもその人たち、米軍も武装勢力の人たちも、産まれたときからそういうモンスターではありません。

自分たちの歴史を振り返っても、日本にもそういう歴史はあるし、いろんな宗教絡みで、一向一揆などもそうですけど、そういった歴史が私たちにもないわけではない。だから私は、米軍の残虐行為、囚人を拷問して傷だらけにして殺し、記念写真でピースサインをしているのを見て、「米兵はなんとひどいことをするんだ」と思うし、イラク政府やISの残虐行為にも同じような反感を持ちつつ、聞き取りする際に手が震え背筋がざわつきながら、話してくれた本人や通訳とともに涙を流しながらも、「自分も同じようになる可能性がある」と意識的に思うようにしています。たまたま私たちはそういう環境に置かれてないだけであって、そういう可能性がないと思ってしまっている。怒りがどれほど人を動かし、どれほど人を狂わせるかというのをイラクでもたくさん見ました。そういった人たちの怒りもさんざん浴びました。この人たちは、武器を持たなくても、怒りの感情だけで人を殺してしまうのではないかと思うほど、激しい怒りも経験しました。そういった激しい怒りや憎悪が、人間を変貌させてしまう可能性、それを常に忘れないようにしておこうと私は思うようにしています。

◆最悪だった2014年のイラク情勢

2013年は復興元年だったのに、急転直下、2014年はいきなり最悪になりました。2014年は本当に最悪で、まずファルージャの教師なんですが、ISについて「あいつらはイスラム教徒じゃない。(私らと)一緒にしてくれるな」と文句を言っていたら、イスラム国に捕まって首を斬られました。もうびっくりしました。本当にショックでした。でも、それと同時に、空爆もずっと続いてます。ファルージャ総合病院も空爆されました。ここは私がカウントしているだけでも2014年に29回も空爆されました。

これは、ファルージャ総合病院のスタッフが、「ER(救急救急室)に撃ち込まれたミサイルの破片」「これは、アメリカから送られてきたヘルファイアミサイル(空対地ミサイル)だろう」と言って見せてくれた写真です。

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日本では武器輸出三原則緩和が経済ニュースとして流れたりしますが、爆弾を落とされて血を見た人たちは、「これはメイド・イン・アメリカなのか?」といった具合に、これはどこ製なのかということをやはりすごく気にします。

◆空爆の犠牲者が出る裏で武器見本市が開催されている

2014年3月にバグダッドで、アンバール攻撃(政府軍による対テロ戦)をやるために、武器の見本市が開かれました。9か国から十数社が来たんですが、それがイラク国営放送のニュースで流れました。米軍の女性兵士がインタビューに答えていて、機関銃や地雷や、戦闘機の模型などがいろいろ並ぶ展示場が映りました。その向こうに、ネクタイをしたアジア系と思しきビジネスマンが、イラク軍のオフィサーのような人に説明していました。武器の性能や効果、殺傷能力などを説明してるんでしょうね。そのときは日本は武器輸出三原則は緩和されていないので、そのビジネスマンは日本人ではないと思いますが、毎年3月に武器見本市をやってますね。今年の3月もありました。だんだん参加国や企業数が増えていってますね。

国営放送でよく武器見本市の放送をしていますが、別の何十チャンネルもある民間放送を見ていくと、たとえばファルージャのローカルテレビでは、空爆されたファルージャ総合病院の映像とともに、「空爆しないでください!」「やめてください!」と人々やドクターらが訴えている場面なども見かけました。また、インド人やバングラデシュ人から来た看護師や医療スタッフが、足に怪我をしたとか頭に重傷を負ったとか、看護師が1人亡くなったと報じています。救命救急施設が空爆されたときには、患者1人と医療スタッフ1人が亡くなっています。このような状況がある中、国営放送では武器見本市を放送し、同じ時間帯に違うチャンネルでは、武器で殺されたという話を放送していたりします。

◆病院は設備が破壊され医薬品も不足し何もできない状況

ファルージャ総合病院はボロボロです。現在もファルージャはいまだにIS支配下にあり、(ISによる恐怖支配と政府軍による空爆により)がんじがらめの状態です。ISも民間人をわざと人間の盾として置いています。しかも逃げたくても逃げさせてもらえません。(IS支配地域から)一切出させてもらえないうえに、さらにその周りをイラク軍が囲んでいます。そのため、物流が止まってしまい、餓死者が出るような状況になり、国際赤十字や国連などが交渉に行ったり、人道支援物資だけでも通させてほしいと要求したり、いろいろなことをしていますけれども、医療機関ももうほとんど人(医師・スタッフ)がいないし、病院が機能しなくなっています。何十回も空爆を受けて電気室もボイラー室もやられてしまってますし、医薬品も医療品も入ってこないので、病院に行ってもほとんど何もできないような状態です。医者もゼロではないけれども、この状況で果たして何ができるのかという状況です。ですから、慢性疾患を持っているお年寄りや赤ちゃん、難病の子どもたちなど、私が関わってきた患者さんも、避難しテント生活をしている中で亡くなってしまった人がいます。医療にアクセスできないまま亡くなってしまったというパターンもけっこうあります。

◆ISの恐怖支配と飢餓に苦しむ住民たち

つい先日、ファルージャでは母子心中事件がありました。26歳の若いお母さんが川に身を投げたんですが、そのときに幼稚園児ぐらいの娘と息子を自分の体に紐でつなぎ、大きい石を紐でつないでユーフラテス川に飛び込んだんです。飢餓で養っていけないということで母子が心中し亡くなったということで、かなり詳しい報道もされました。このお母さんの旦那さんは、以前イラク警察にいた人です。イラクではスンニ派狩りがおこなわれていましたが、ファルージャで採用されたファルージャの警察官が、ファルージャのスンニ派を殺すということはなかったので、地元出身の警察官はとりあえずは信頼されていました。

しかし、ISは2014年以降、ファルージャのイラク政府の公務員に対し、改宗を迫るようになりました。つまり、イラク政府に仕えていた者たちは不信心者であるとして、処刑されるか、さもなくば改宗(ISが定義する原理主義)せよと要求するわけです。それで処刑された人たちもたくさんいて、このお母さんの旦那さんも警察官だったということで殺されてしまったんです。旦那さんの兄弟たちは恐怖で震えあがり、ISに入ってしまいました。ISは、たとえば他人の家の玄関の前で処刑するなど、とにかく恐怖支配をします。そのまま遺体が放置されたりもしますし、遺体を移動してほしい、あるいは埋葬してほしいと言うと、「もう一度それを言ったら、お前もこうなるからな」と脅されるんです。

そういった恐怖支配と飢餓で、いまファルージャは最悪です。モスルも同じような状況になっています。IS支配下にいる人たちは、モスルだけでも百数十万人います。凄まじい状況になっています。IS支配下の街に入ってくる食料は、通常の30倍もの値段がついていて、庶民にはとても手が出ない状況です。さらに、給料を払う銀行もISに押さえられているため、中央政府が給料を止めてしまっています。なので、生き延びるためにISに協力したり、商売の許可をISにもらう。IS支配地域から出してもらえないから、ISの許可をもらう、ISのIDをもらう、そうやって商売をすることしかできないし、これがいつ終わるか分からないという状況です。

◆ISからの脱却には「スンニ派狩り」をやめさせる必要がある

これをどうにかするためには、スンニ派狩りをどうにかしなければなりません。2005年に始まった、イラク政府によるスンニ派への迫害は、ずうっと現在も続いています。イスラム国を掃討すると世界に対しては言ってますが、その名のもとにやっていることは、スンニ派狩りのエスカレートしたものだったんです。これは去年あたりに米軍やヒューマンライツウォッチ、アムネスティなどいろいろなところにバレました。イラク軍とシーア派民兵は、「対テロだ」「対ISだ」と言っておきながら、あるいは、「世界の代わりに俺たちが世界最悪のテロリストたちと対峙してるんだ」とか言っておきながら、実際にはスンニ派狩りをやっているということがバレたんです。これをなんとかしない限り、ISはなくならないし、ISにやむなく加担してしまう人たちも止められない。これを根本的になんとかしなければいけません。まず、多くの人たちに、こういう事情があるということを知ってもらわないといけないということで、日々こういう話をしています。

◆ISの支配に住民が安堵できたのは1か月だけ

ISはモンスターだから空爆するしかないという意見もあるし、空爆がダメだという意見もあります。2014年は、本当に悔しくて悔しくて仕方がないことが何回もありました。ISは2014年にファルージャにやすやすと旗を立て、未亡人や孤児たちに見舞金を出してのさばっていきました。その半年後の2014年6月には200万都市のモスルを支配下におさめました。「イスラム国、イラク第2の都市モスルを占拠」という報道がありましたよね。そのときも、モスルの人たちはスンニ派狩りの検問所で苦しんでいたので、イスラム国が「シーア派過激派のイラク政府から皆さんを助けに来た」と言ったら、モスルの人々は一瞬喜んだんです。「助かった。十何年かぶりに自由になった」と。モスルの人たちは、検問所を通るときに、バグダッドから送られてきたシーア派の警察官からよくボコボコにされていました。私も2014年2月までモスルにいましたが、検問所のひどさはよく分かっています。本当にバカみたいにたくさんあって、市民の人たちがどれほど検問所を怖がっていたかよく分かります。しかも、医者は拷問遺体を検視してはいけないという通達まで出されていたんです。

そういう状況でイスラム国が来たものですから、人々は一瞬喜びました。でも安堵したのは1か月だけでした。1か月後にはイスラム国が勝手に解釈したイスラム法の手引書が住民たちに配られ、女性は真っ黒の服装で身体を覆うとか、女性の職業は教師か医者しか認めないとなったんです。そして、ISが来てからどんどんおかしくなっていって、石像やモスクを破壊していきました。

◆ISによるイスラム教徒とヤジディ教徒の虐殺

2014年8月3日と6日に、大虐殺が起きました。モスルから数十キロ離れた、クルド人自治区に近いカラコシュにキリスト教徒の街がありますが、そこにISが入り、改宗を迫りました。それを断った人たちが数十人、首を斬られて殺されました。みんなそれを知って泡を食ったように逃げました。その3日後、今度はモスルの西のほう、シリア国境に近いシンジャルというヤジディ教徒の街。

皆さんのお手元の資料に、私が赤ちゃんを抱っこしている写真がありますが、この子はヤジディ教徒の赤ちゃんです。

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ISは改宗を迫り、断った何百人ものヤジディ教徒が首を斬られました。彼らは一目散に逃げてシリアに入り、トルコ回りでイラクのクルド人自治区に入りました。ものすごい数です。

クルド人自治区のアルビルのキリスト教の地区は、道路や公園がテントと野宿だらけ。短期間のうちに30万人ぐらいキリスト教徒が来たんです。北部のドホークという街も人だらけ。ヤジディ教徒が何十万人も来ました。逃げ遅れたヤジディ教徒は、シンジャル郊外にあるシンジャル山に3万人ぐらい避難しました。そこに待てど暮らせど助けが来ないし、8月ですから気温は50度の猛暑です。山ははげ山で木陰はないし、水や食料もなく、死者も出ました。私はテレビでニュースを見ていて、数十キロ先の出来事だから行きたいんですが、山の周りにもISが基地を置いています。これ、いったいどうなってしまうのかと。私はテレビを座って見ていられなかった。国連も大変だ大変だと言うし、アルジャジーラやABC、CNN、FOXなどありとあらゆる海外メディアが、これはまずいとずっと報じていました。

そして今度は、バグダッドでヤジディ教徒の女性国会議員が議場で絶叫している映像が報じられました。彼女は「ヤジディ教徒が全滅します。助けてください!」と泣き崩れる。それがずっと報じられ、どうなってしまうのかとみんなやきもきしていました。そんな中、オバマが空爆を表明。3日後の8月9日に、シンジャル山の周りのISを攻撃しました。イラク政府軍やイギリス軍などがヘリコプターで食料を投下したり数十人ずつ救出したりする場面がテレビで報じられていました。

◆反米感情を持つファルージャから「米軍待望論」が出るほど

ヤジディ教徒やキリスト教徒の問題、そしてファルージャでイラク軍の攻撃が終わらないことなどにより、反米感情を強く持っていたファルージャの人々でさえ、「米軍占領時代に戻ったほうがマシ」「イスラム国もイラク政府も、もう米軍しか止められない」といった「米軍待望論」まで起こっていました。キリスト教のシスターは、虐殺から数日たっても恐怖で体が震えていました。そして、「あの人たち(イスラム国)を何とかして。誰でもいいから。お願い。私たちはもう帰れない」と言ってるんです。それぐらい、人々は震えた状態になっていました。

米軍や有志連合がイラクやシリアで2万5000発から3万発ぐらい空爆していますが、ある人はこう言いました。「アメリカが空爆すると、なぜ国際社会は騒ぐの?」「それの何十倍もイラク政府は空爆し残虐なことをしているのに、なぜ国際社会は何も言ってくれないの?」と。この話をすると、聞いた人は「知らなかった」とおっしゃるわけです。知らなかったら何もできないです。報道されてないから。国際社会全般が、知っていたのに何もしなかった、あるいはそういう報道を全然目にしてこなかったという点で、国際社会の責任はすごく大きいと思います。

◆この大事件を報じない日本メディア

この2014年8月のニュースは世界では10大事件と言えるほどのものだったんですが、日本では報道がほぼなかったような状況で、私はびっくりしました。「ヤジディ教徒とキリスト教徒がてんてこ舞いしているのを、日本の皆さんに伝えなくては」「とんでもないことになっているぞ。イラク戦争によって、これほどひどいことをするモンスターをつくってしまった」と。そして、「この空爆に至った経緯がどういうふうに日本では話されているんだろうなぁ」と思いつつ日本に帰ってきたら「オバマはけしからんですね。またイラクを攻撃しましたね」と言われました。私は「え?」と思いながら、「実は、米軍の空爆を心待ちにしている人々がたくさんいました」と返事すると、「え?なぜ?」と言われました。

日本に関しては、冒頭に申し上げた通り、あまりに国際ニュースの報道が少なすぎます。日本は24時間ニュースのチャンネルがない、非常に変わった国だと思います。24時間インターネットテレビのアベマ(AbemaTV=テレビ朝日とアメーバが提携)というのができたので期待して観てみましたが、内容はちょっとがっかりしました。日本の報道は世界とのつながりが絶たれている鎖国状態だと思います。

◆ODAで改築した母子病院が空爆されても日本では報道なし

この映像は2013年10月。2003年頃に私が通っていた病院で、旧総合病院です。

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新築の新総合病院(映画ファルージャの舞台になった病院)が2キロほどのところにできたので閉まっていたのですが、日本のODAで改築し新母子病院として2013年10月にオープンしたばかりだったんです。

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私も10月にここに行き患者さんの話を聞いたりしていたんですが、この病院が2015年8月13日にイラク空軍によって空爆され、新生児を含め母子22名が亡くなりました。

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知り合いのスタッフから、「『日本の病院』がやられたぞ」「日本のみんなに知ってもらいたい」と連絡がありました。海外メディアはこの空爆を報道していました。知人スタッフから送られてきたいくつかの映像を、日本の大手メディアにも送りましたが、イラク保健省に事実関係を確認し、空爆の事実があったことを確認したにもかかわらず、報道するには至りませんでした。日本のODAで改築した病院であり、日本にも関係のある病院なのに、なかなか報道にならないんですよね。

◆イラク人にとって武装した日本人が来たのは衝撃的

安保法制のとき(国会の論戦など)でも、日本の人たちが思っている日本の姿と、イラクから見ている日本の姿にすごくギャップを感じます。 2013年にアルジャジーラが自衛隊を特集したドキュメンタリー番組を放送しました。タイトルは「平和主義者の戦争」(The Pacifist War)です。何度も再放送されていました。この番組を日本の人に見せると、日本の人はこれをあまり知らず、「中国軍じゃないの?」「何これ?」とびっくりされました。でもやはりイラクの人々にとって、自分たちのところに、実際に武装した日本人が来たというのは衝撃的でしたからね。あのときから日本に対する見方は間違いなく変わりました。これはいまに始まったことではないということを皆さんにお伝えしておきたいと思います。(了)

◎講演概要

■□■市民社会フォーラムpresents■□■
『ファルージャ イラク戦争人質事件…そして』上映&高遠菜穂子さんトーク
日時:2016年5月4日(祝・水)14:00〜17:00

会場:兵庫県私学会館4階大ホール 
協賛:安保法制に反対するママと有志の会@兵庫
 

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『ファルージャ イラク戦争人質事件…そして』公式HP
http://fallujah-movie.com/