2016年10月8日に開催しました高遠菜穂子さんの講演会の動画です。
※企画時のタイトルは「いまあらためて問う〝イラク戦争何だったの?〟」ですが、当日の講演では、タイトルを「イラク戦争の教訓ー暴力の連鎖の中で考える日本の平和憲法ー」に改題しています。
2003年のイラク戦争以降の10年よりも、2014年以降のイラク危機のほうがひどい危機に陥っている。2003年のイラク戦争の教訓は生かされなかったと思う。
難民の定義
紛争や迫害、災害や飢饉などによって家を追われた人。
国境を超えた人は「難民」
超えない人は「国内避難民」(IDP=Internally Displaced Personsと呼ばれる)
イラク難民
イラクの近隣国(ヨルダンやシリアなど)あるいはアメリカやヨーロッパに逃れたイラク難民は2005~2007年頃に240万人以上。そのうちの70万人ほどはヨルダンに。そのころの国内避難民は270万人。難民と国内避難民を合わせると500万人超で、イラク総人口に照らして5人に1人は難民または避難民という状況だった。内戦前のシリアに逃れたイラク難民は100万人を超える。2014年以降、ISによる危機でヨルダン内のイラク難民は急増。
イラク国内の難民
イラク北部のクルド自治区にシリア難民が23万人。2014年のIS危機の以前は西部のアンバール州(ファルージャやラマディがある)に多くの難民がいた。部屋を借りる居候みたいな形の人が多かった。現在はアンバールがぐちゃぐちゃになってしまったので、シリア難民はクルド自治区に逃れている。IS危機が始まる前の2014年の1月の段階でイラク政府軍と部族間の戦闘が激化したが、その際にIDPが急増。ISが台頭する前にすでに40慢人ぐらいのIDPが発生していた。それはイラク政府軍による空爆が原因。1月から4月にかけて空爆で多くの人が家を追われIDPとなった。その後の2014年6月にISが「建国宣言」をする。2016年時点のイラクのIDPは330万人を超えている。10年前の270万人を上回る規模。難民キャンプでは火事が多い(調理の火が原因、なおかつテントが燃えやすい)。イラクは夏と冬の気温差が大きい。夏は摂氏50度を超える一方、10月に入ると雨期になりテントの雨漏りや冠水に見舞われる。冬場は気温が下がって氷が張り、テントの中で子供の凍死者が15人も出たことがある。
十三藝術市民大学 社会学部
(旧題:いまあらためて問う〝イラク戦争何だったの?〟)
会場:シアターセブン BOXⅠ(大阪・十三)
イラク支援ボランティア。1970年、北海道生まれ。大
2000年インドの「マザーテレサの家」、2001年か
2003年5月からイラクでの活動開始。
2004年4月にイラク・ファルージャで「自衛隊の撤退
解放後、日本国内で「自己責任」バッシングを受ける。現
「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」呼びかけ人。
著書に『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない