【講演録】岡村幸宣さん講演会「非核芸術へのお誘い」(2017/2/4@神戸)

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非核の政府を求める兵庫の会は2017年2月4日、兵庫県保険医協会6階会議室において、「非核芸術へのお誘い」と題する講演会を開きました。この講演会には、講師として、原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で学芸員を務める岡村幸宣さんにお越しいただきました。「原爆の図」は、故・丸木位里(いり)・丸木俊(とし)夫妻が描いた作品群で、1950年に「幽霊」を発表して以降、国内のみならず海外でも大きな反響を呼び、1982年の「長崎」に至るまで全15部を世に送り出しました。原爆の図丸木美術館は、原爆の図の常設展示や巡回展示はもとより、反戦運動や公害問題などに向き合い、丸木夫妻以外の絵画作品や写真の展示会なども多数企画、戦争のない平和な世界や平穏な社会の実現のための取り組みをおこなっています。

 

冒頭に岡村さんは、「非核芸術」について、自身の著書(「非核芸術案内」岩波書店刊)の一節を引用する形で、「核の脅威、とりわけ放射能を人間は知覚できない。その危険性を隠そうとする社会的な力が働くことも少なくない。非核芸術の歩みは、『見えない』核を『見える』ものとしてあばき出す試みの連続であったと言える」と解説しました。

講演は、「第1部・原爆を伝える」「第2部・ビキニ事件と原水爆禁止世界大会」「第3部・記録の継承と反原発」「第4部・3.11後の非核芸術」という4部構成でおこなわれました。このうち、第1部では、原爆の被害をどのようにして記録したのか、その事例を紹介しました。広島・長崎に投下された原爆による被害を描いた報道的な意味を持つ作品としては、広島の洋画家・福井芳郎が1945年8月6日午前9時に広島市福島町で描いたスケッチが最初だろうと言われていることを解説。また、中國新聞のカメラマン・松重美人(よしと)が8月6日午前11時すぎに御幸橋で撮影した写真などをスライドで示しました。あわせて、戦後日本に進駐した連合国軍が報道規制を敷いたことにより、原爆に関する新聞や雑誌での報道が著しく制限されたことで、被害状況を撮影した写真が当時はほとんど公開されなかったことなども紹介しました。さらに、原爆を描いた絵画では、峠三吉の「原爆詩集」の表紙を手掛けた四國五郎の作品を紹介したほか、戦後復興の名のもとに、弱者を置き去りにした政策がおこなわれていることに疑問を投げかける作品として、画家で怪獣造形家の高山良策が描いた「矛盾の橋」も紹介しました。

第2部では、第五福竜丸事件(米軍がおこなった南太平洋ビキニ環礁での水爆実験により漁船が被曝し乗組員が亡くなった)を目の当たりにした人々が、反核の意思を込めて描いた作品を紹介するとともに、この事件ののちに原水爆禁止世界大会が盛り上がりをみせ、その中においては、実力のあるデザイナーの手による最先端をいくデザインが告知ポスターに採用されたことなどを解説。その一方で、原水禁運動が分裂し衰退していく過程において、実力ある芸術家たちが運動から少しずつ離れていったことも紹介しました。また、「燃える人」や、渋谷駅への展示で知られる「明日の神話」といった岡本太郎による作品も紹介しました。

第3部では、丸木夫妻が13番目の作品として描いた「米兵捕虜の死」を冒頭に紹介しました。これは、夫妻がこれまで発表してきた12の作品が、いずれも日本を「原爆の被害者」という視点から描いてきたのに対し、ベトナム反戦運動を契機に実施したアメリカ国内での原爆の図の出張展示で、日本への原爆投下を肯定する反応が寄せられたことに丸木夫妻が驚き、苦悩の末に描いたものです。このアメリカでの予想外の反応に対し、丸木夫妻は捕虜となっていた米兵も原爆投下で犠牲になったことを説明。「核は国境を超えた人類共通の問題」と訴えて日本に戻ってきたものの、調べていくうちに、原爆投下による報復として捕虜の米兵が日本人から暴行を受けた事実に直面。被害者としてだけでなく、加害者としての側面も持っていることを思い知り、混乱したことを紹介しました。また、中沢啓治が描いた「はだしのゲン」や、水木しげるによる「パイプの森の放浪者」、平山郁夫やアンディ・ウォーホルの作品も紹介しました。さらに、1970年代に入ると、原爆体験の継承という意味で重要な動きがあったことも解説。NHK広島放送局による「原爆の記憶を絵に描いてのこしてみませんか」という趣旨の呼びかけをきっかけとして、プロの画家ではない多くの一般の人々が原爆の絵を描き、原爆資料館に数千枚保存されていることを紹介しました。

第4部では、2000年代以降の作品や、2011年の東電原発事故を契機とした作品を紹介。このうち、アーティスト集団のChim↑Pom(チンポム)が2008年に広島の原爆ドームの背景となる市内上空に、「ピカッ」という片仮名を航空機による飛行機雲で描いたパフォーマンス作品「ヒロシマの空をピカッとさせる」に対し、「不謹慎だ」という批判が起こった事例を紹介。また、韓国の写真家・鄭周河による「奪われた野にも春は来るか」を紹介し、植民地支配によって自分たちの土地が奪われた人と、原発事故によって故郷を追われた人の苦しみを重ね合わせた作品であると解説しました。そして、岡村さんは、「自分たちの社会はこれでいいのか、あるいは、目に見えない暴力性とは何なのかを問い直す作品が増えている」と語りました。

※文中の作者名はすべて敬称略

 

◎概要

非核の政府を求める兵庫の会第31回総会記念講演会「非核芸術へのお誘い」

日時:2017年2月4日(土)14:30~16:30
会場:兵庫県保険医協会5階会議室
講師:原爆の図丸木美術館学芸員 岡村幸宣さん

主催・連絡先 非核の政府を求める兵庫の会

協賛:市民社会フォーラム

広島・長崎への原爆投下以後、脈々と受け継がれてきた「非核芸術」の系譜をたどり、
「非核芸術」とは何か、そして、その多様な表現をもたらすものの意味について、
「3.11」後を生きる私たちの現在と未来を照らしつつお話しいただきます。

◎講師紹介

岡村幸宣(おかむら・ゆきのり)さん
1974年東京都生まれ。
東京造形大学造形学部比較造形専攻卒業。同研究科修了。
2001年より原爆の図丸木美術館に学芸員として勤務し、丸木位里・丸木俊夫妻を中心にした社会と芸術表現の関わりについての研究、展覧会の企画などを行っている。
著書に『非核芸術案内―核はどう描かれてきたか』(岩波書店、2013年)、『《原爆の図》全国巡回―占領下、100万人が観た!』(新宿書房、2015年)。
主な共著に『「はだしのゲン」を読む』(河出書房新社、2014年)、『3.11を心に刻んで 2014』(岩波書店、2014年)、『山本作兵衛と炭鉱の記録』(平凡社、2014年)など。