◎岡真理さんによるトーク
◎「オマールの壁」の予告編
◎レビュー
パレスチナ制作の映画「オマールの壁」。「壁」とはパレスチナ自治区に造られている「隔離壁」のこと。イスラエル建国によって安住の地を追われたパレスチナ人は、ガザ地区とヨルダン川西岸地区に逃れるも、やがて彼の地にもユダヤ人が入植を開始。基本的人権とは無縁の劣悪な環境に苦しむパレスチナ人と、経済的にも人権面にも恵まれたユダヤ人との間で衝突や戦闘が繰り返され、そのたびに兵力や経済力に勝るユダヤ人側は、より一層パレスチナ抑圧を強めていく。
2002年からイスラエル政府は、「パレスチナ人による自爆攻撃からユダヤ系住民を守る」という大義名分により、隔離壁の建設を進めている。隔離壁は高さ9メートルにも及ぶ巨大かつ分厚いコンクリート製。コンクリート製のみならず鉄条網のところもあるようだが、それらの総延長は数百キロにも及ぶ。延々と張りめぐらされた壁は、まるで邪悪な蛇のようにも見えてくる。あるいは、世界の三大無駄とも揶揄される万里の長城のようでもある。隔離壁の向こう側には、ユダヤ人入植地の住宅群が広がる。隔離壁を挟んで双方の往来は著しく制限されており、経済的優位に立つユダヤ人入植地に出稼ぎに行く際にも、パレスチナ人は検問所の長い順番待ちの列と、ユダヤ人兵士による屈辱的な対応に耐えるしかない。
岡真理さん(京都大学大学院教授)によるトークでは、あとから入植したユダヤ人らがヘイトデモをおこなってパレスチナ人を威嚇する場面や、通り沿いにある住居の玄関を使えないよう、扉を溶接で固定する悪質な嫌がらせを受けた住民の映像がスクリーンに映し出される。とくに、このパレスチナでのヘイトデモは、在特会がコリアンタウンでおこなっている「嫌韓デモ」を彷彿とさせるものだが、歪んだ選民意識が過激な主張を生み人々を分断させる動きは、古今東西を問わず人類が抱える共通の問題なのだと実感する。
日本は戦後70年あまり、紆余曲折を経ながらも平和を保ち、経済大国としての道を歩んできたが、パレスチナでは、それとほぼ同じぐらいの長きにわたって過酷な人権状況が続いている。故郷を追われたばかりか、あらゆる人権がないがしろにされた不自由な生活を強いられているパレスチナ人。映画「オマールの壁」では、秘密警察の厳しい監視や情報工作、さらには拷問を伴う厳しい取り調べによって委縮し、友人や恋人すら信用できなくなり、疑心暗鬼の状態におかれていく人々の様子が描かれている。
抗議の声すら上げられない状況に打ちひしがれつつも、その状況を甘んじて受けざるをえない人々。意を決して抗議の声を上げたり、あるいは当局に反撃したりして、射殺されたり逮捕されたりする人々。拷問を伴う過酷な取り調べによって、嫌々ながらも秘密警察の協力者へと転じる人々。何をやっても事態が一向に改善しないことに失望し、最終手段として自爆テロを選ぶ人々。これらの状況を、世界はいまだに改善できずにいる。
映画「オマールの壁」に出てくる「壁」とは、冒頭に述べた「物理的な壁」のみならず、人権状況が一向に改善しないことに絶望した悲痛な叫び声すら跳ね返してしまう、言い換えれば「あきらめの壁」なのだろう。あるいは、「どんな手段を使ってでも必ず壁を越えてみせる」という、パレスチナ人の悲壮な決意を象徴するものなのだろう。
岡真理さんは、このように述べている。「皆さんは、この映画を観て感動したと思うが、感動を消費するだけでは駄目。パレスチナで起きている具体的な暴力を、私たちの側から知ろうとしなければならない」
そう、映画「オマールの壁」は、我々に対するパレスチナからの「宿題」なのだ。(了)
◎概要
市民社会フォーラム第67回映画鑑賞会
「オマールの壁」&岡真理さんトーク
トーク「魂の破壊に抗して—映画『オマールの壁』
日時:2016年6月25日 14:10の回上映終了後
会場:元町映画館2Fロビー
登壇者:岡真理さん(京都大学大学院教授、現代アラブ文学)
「オマールの壁」公式サイト http://www.uplink.co.jp/omar/
元町映画館公式サイト http://www.motoei.com/