【講演録】改憲を議論する前に知っておくこと  中東情勢から見た戦場の暴力とトラウマ(2019/11/18金@神戸)

投稿日:

 

非核の政府を求める兵庫の会は、2019年11月18日に神戸市内で市民学習会を開いた。この日の学習会は「改憲を議論する前に知っておくこと 中東情勢から見た戦場の暴力とトラウマ」をテーマに、前半と後半の二部構成で開催した。前半は高遠菜穂子さん(イラクエイドワーカー=人道支援ボランティア)、後半は野田哲朗さん(兵庫教育大学大学院教授・精神科医)が講師を務めた。

前半:高遠菜穂子さん講演「改憲を議論する前に知っておくこと 中東情勢から見た戦場の暴力とトラウマ」

高遠さんは、戦争に翻弄されてきたイラクで長年エイドワーカーとして活動してきた経験をもとに、自衛隊が海外派遣任務で紛争地に赴いた際にどのような影響が起こりうるのかを語った。

ダブル占領状態のイラク

まず、イラク国内が米軍による占領にとどまらず、イスラム教シーア派の隣国イランの影響力が色濃く反映される政治状況により、イラク人の間に「アメリカとイランの『ダブル占領』状態に置かれているのがイラクだ」という声があることを紹介した。イラクやイランのみならずヨルダンやクウェートでもデモが起きるなど、一筋縄にはいかない中東情勢をあらためて注視していくことが大切だと説いた。

コラテラルダメージ

その上で「対テロ戦争であるイラク戦争は、正規軍VS正規軍の戦いではなく、民間人に紛れやすい武装勢力を敵とするので、コラテラルダメージが起きやすい」との見解を示した。コラテラルダメージを直訳すると「副次的被害」だが、具体的には「戦闘に伴う民間人の犠牲」あるいは「政治的にやむをえない犠牲」を指す。高遠さんは「民間人の巻き添えは非常に多い」と語った。

さらに「空爆や爆弾の被害による負傷者は心的トラウマも深刻だが、イラクの戦場においては、外科的措置が優先されてしまい、心のケアはほとんどなされない」とし、実際に戦闘の巻き添えとなり、身体的な傷のみならず心の傷が長く癒えない民間人の事例を紹介した。

高遠さんは、戦闘や空爆以外にも戦場で起こるトラウマとして、米軍によるイラク占領下のアブグレイブ刑務所で起きた、イラク人への拷問や虐待を挙げた。加えて、もともと非人道的な戦争といえども国際人権法を順守して戦うという『戦争のモラル』が崩壊している実情に憂慮の念を示した。また、ファルージャ総攻撃に従事した屈強な米海兵隊員が、空爆作戦の途中で民間人の犠牲者があまりにも多いことを目の当たりにし、自責の念や罪悪感に苦しんでいることも紹介した。

「皇軍に戦争神経症はいない」

一方、かつての旧日本軍についても言及。当時、精神疾患(コンバットストレス)に悩む兵士が大勢いたはずだが、戦中にカルテの焼却処分命令が出たり、あるいは戦後は平和憲法の下で、事実上戦争の経験がない状態であり、そのため「戦争とトラウマに関する研究はつい最近始まったばかりというのが、今の日本の状況である」と述べた。特に、旧日本軍におけるキーワードとして強調したのが、「皇軍に戦争神経症はいない」というものである。自衛隊についても「旧日本軍でもなく皇軍でもない」とした上で、自衛隊員が弱音を吐けないとか、絶対服従的なもの、皇軍体質のようなものが色濃く残っているのではないかとの意見を述べた。

「数年後に自衛隊員も米帰還兵と同じことになるのではないか」と…

高遠さんは、ニューヨークにある、米退役軍人省が運営する帰還兵病院を2005年に訪問した際に目の当たりにした光景も語った。この病院は、イラク戦争のみならず、第二次世界大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争やアフガン戦争など、アメリカが関わった全ての戦争帰還兵が対象となっている。アメリカでは、1日に20人以上の米兵が自殺を図っており、特に、「イラク帰還兵やアフガン帰還兵といった対テロ戦争に関わった兵士が多いようだ」と述べた。

イラクで過激派の人質となった経験を持つ高遠さん。「帰還兵と話をすると『夜きちんと眠れているか?」とか「悪い夢を見ていないか?』と心配して聞いてくる」と述べつつも、「私は武器を持っていなかったし、誰も殺していない。それでもこれほど(精神状態が)キツイということは、殺したことのある彼らはもっとキツイだろうな」と帰還兵の心中を慮った。その上で、自衛隊員が武器を携行して海外派遣されるようになった今、いずれは現地で人に向けて銃を撃つこともありうるとし、心の病に苦しむ米帰還兵と同じように大変な思いをする隊員が出る可能性があることに憂慮の念を示した。また、米帰還兵病院での光景を目の当たりにした際に脳裏に浮かんだこととして、数年後に自衛隊員も同じことになるのではないかと感じたと語った。

とりわけ、コンバットストレス(戦闘や軍事作戦に携わった兵士に起こるストレス反応)は、本人や同僚のみならず、配偶者や子供への影響が懸念されることも示した。今後自衛隊員への人道的立場に則った支援を行うべく、高遠さんは『海外派遣自衛官と家族の健康を考える会』の設立(2017年1月)に携わった。会の活動を通じて、コンバットストレスの知識を広く啓蒙することで、「とにかく自殺を止めたい」との強い思いを示した。

後半:野田哲朗さん講演「戦争とトラウマ」

野田哲朗さんは精神科医としての医学的見地から解説した。冒頭、これまでも自身はトラウマ自体について勉強してきたとしつつ、日本人は戦争とトラウマについてはほとんど研究してこなかったと語った。その理由として、戦後、幸いにして日本では戦争がなかったことを挙げた。また、日本では戦争神経症を戦時神経症と言い、「あくまで戦時中にたまたま神経症になっただけ」という詭弁を弄してきたことなども挙げつつ、「我々みんなでトラウマの問題を隠してきたのか、見たくなかったのかということもあるのではないか」と述べた。

ストレスとレジリエンス

トラウマについて知る上で前提となるストレスの概念についても解説した。生理学者ハンス・セリエ博士によるストレス学説によると、ストレスにさらされたときに生体に起きる反応には3つの段階があるという。最初こそ抵抗力が落ちるもののすぐに回復(①警告反応期)し、しばらくは頑張ることができる(②抵抗期)。しかし、ストレスにさらされる状態が続くと、やがて様々なストレス疾患に見舞われる(③疲弊期)。但し「ストレスとは本来は悪い言葉ではない」とし、「ストレスはスパイスのようなもので、全くないと困ものだが、ありすぎると困るもの。だから上手に付き合いましょうね、という概念である」と説明した。

続けて「レジリエンス」という概念について説明した。ストレスとは、ストレッサー(ストレスの原因となる外的刺激)によって、ストレス反応(生体防御に必要な自律神経や内分泌系、免疫系などの反応)が生体(体と心)に起こるという概念である。その過程においては、ストレッサーに対して「元へ跳ね返す力」が働くが、これがレジリエンスである。このレジリエンスについて、野田さんは「高遠さんはイラクで、現場のレジリエンスを高めることを行っている」と語り、人間関係や自尊感情、自己効力感や楽観性を高めていくことが、ストレスに対して効果的であるとの見解を示した。

惨事ストレスとコンバットストレス

トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)治療の研究で知られる臨床心理学者の小西聖子教授(武蔵野大学)によると、そもそもトラウマとは「個人が持っている対処法では対処することができないような圧倒的な体験」を指す。これは、例えば地震や洪水といった災害、あるいはレイプや虐待などの暴力行為、テロや戦争などの破壊行為などの惨事ストレスによってもたらされる。特に、軍人に起こるストレスはコンバットストレスと呼ばれる。これは、文化人類学者の福浦厚子教授(滋賀大学)によると「戦闘経験だけでなく、軍事作戦や演習でストレスにさらされた軍人に見られる感情的、知的、身体的、行動上の反応である」「隊員に対して感情、認知、生理学上の影響を及ぼすだけでなく、配偶者や子供といった周囲の人に対しても影響を及ぼす」とされている。但し、トラウマティックストレス(トラウマになるほどの強いストレス)を体験した人が全てPTSDに罹るわけではなく「PTSDはトラウマティックストレス反応が回復しないために起こる後遺症である」とされている。とはいえ、回復していく過程の中での周囲のサポートや、本人のレジリエンスの度合いなどによって、PTSDになるかならないかが変わってくるのであって、心が弱いからPTSDになるというものではない、とした。

戦争神経症と戦時神経症

兵士に見られるストレス症状を戦争神経症と呼び、負傷兵と同じぐらい戦闘遂行機能を喪失する状況に陥った兵士に対し、アメリカ軍は第一次世界大戦のときには懲罰を与える策をとったが、第二次大戦のときには戦争神経症対策のプログラムを実施した。その際に精神科医が活躍したが、これらは戦争神経症に罹った兵士を戦場に戻すためのもので「兵士を兵器と見ている」がゆえの策であった。また、戦時下の日本では「戦争によって神経症に罹るような弱い兵士は帝国陸軍には存在しない」という建前によって、戦争神経症ではなく戦時神経症と呼称され、戦争によって神経症になったのではなく、戦争の時期にたまたま神経症になっただけとの解釈により、戦争神経症という概念は無視されてきた、とした。

野田さんは、昨今芸能界での蔓延が問題になっている違法薬物の問題についても言及。戦時下で様々な薬物が兵士の不安解消や気分高揚のために用いられてきたことを説明した。一方、PTSDの治療として、認知行動療法や薬物療法などが用いられていることを紹介しつつ、「治療によって完全にうまく消えず、症状が残ってしまう人もいる。やはり人を殺してしまったという体験は余程のことだ」と語った。

PTSDと並んで兵士を悩ませる症状として、野田さんはモラルインジャリー(良心の呵責による障害)を挙げた。モラルインジャリーとは、例えば「正義の戦いだと思って戦場に行ったのに、全然正義ではなかった」といった場合に起こり、罪悪感や恥、怒りの感情にさいなまれ、信頼感が喪失してしまう症状であることを説明した。

兵士や自衛隊員の自殺

アメリカでは退役軍人の自殺者が増えている。その原因として、退役軍人の中には、帰還後に暴力的になるなど持続的な人格変化が起きてしまっている人がいる可能性を挙げ、それによってホームレスになる人や離婚する人が多いことなど、兵士となって戦争に行くこと自体がハイリスクである、とした。一方、自衛隊においては、例えば2004年にイラクに派遣された陸上自衛隊員(実数600人)のうち実に21人が自殺していることなども解説した。

AI兵器の台頭に懸念

野田さんは、研究開発が急ピッチで進んでいるAI兵器の台頭にも懸念を示した。戦争は兵士という人が関わることによって、人体が身体的あるいはPTSDになるなど精神的にも被害を負う。それ自体はよくないことではあるけれども、だからこそ戦争の悲惨さを実感し、戦争の抑止につながる。一方、AI兵器が普及すると「人間が関与せずとも人が殺せるようになってしまう」とし懸念を示した。

 

■□■市民社会フォーラム協賛企画■□■
非核の政府を求める兵庫の会 市民学習会
 改憲を議論する前に知っておくこと
中東情勢から見た戦場の暴力とトラウマ

日 時 2019年11月18日(月)18:30~20:30(開場18:00)
会 場 JEC日本研修センター神戸元町3階 会議室A-1
主 催 非核の政府を求める兵庫の会(問合先 電話078-393-1833 shin-ok@doc-net.or.jp)
協 賛 兵庫県弁護士9条の会/兵庫県平和委員会/神戸YWCAピースブリッジ/市民社会フォーラム

安倍首相は10月開会の臨時国会で、憲法9条への自衛隊明記などの自民党改憲案を提示し、改憲議論を促そうとしています。また、米国が主導するホルムズ海峡での「有志連合」をめぐり、自民党内では4年前に強行採決された安保法制に基づき、集団的自衛権の行使も含む自衛隊の派遣を求める声も出ています。

しかし、海外派遣された自衛隊員は極度の緊張状態に置かれ、かなりの心的負荷がかかり、自殺やPTSDが増え、家族も体調を壊してしまうことが懸念されます。憲法に自衛隊を書き加え、海外派遣を進めることは「専守防衛」を名目にした自衛隊員の健康と人権を脅かしかねません。憲法に自衛隊を書き加えることを議論する前に考えておかなければならない問題です。

イラクなど中東の紛争・内戦、兵士と住民のトラウマの現状などについてお話を伺う中で、改憲と海外派遣の問題について考えます。

【講演】
高遠菜穂子さん(イラクエイドワーカー)
2000年よりインドの孤児院、タイ、カンボジアのエイズホスピスでボランティアとして働く。2003年のイラク戦争を機に活動の場をイラクに移す。人道支援活動中に人質事件に巻き込まれ、PTSD症状に苦しんだ。現在もイラクにて現地調査や緊急支援を継続中。北海道千歳市出身。

野田哲朗さん(兵庫教育大学大学院教授・精神科医)
一般精神科臨床のほかアルコール・薬物嗜癖障害、PTSDの治療を行い、精神保健、災害精神医学、司法精神医学等を専門とする。長年、大阪府において公衆衛生行政に従事したのち、大阪府立精神医療センター医務局長を経て現在に至る。